2008年03月25日

東征 肆

グロテスク+若干ホラーな表現有、閲覧注意


..
「口にされたのですか、夏山の人間を」
幾度季節が廻りて。
威厳を増した虎は常のように、桃色のはらわたを食っていた。
肉の薄い人間のものだった。
「あぁ」
脳髄から腹の下へと流れるように振動する。
青年の風に消えそうな声とは違い、其処に存在している事を誇りに思うような声だった。
そう聞こえたとてそれは目の前の表情とは噛み合わない。
「喰ろうた」
深く陰った瞳を地面に落す。
それは贖罪の色では無く、後悔の色をしていた。
「憔悴しきった獲物を狙わぬ道理はあるまい」
青年は小さく頷く。
「分家の方でしょうね。
父の代に出奔されたという記録が残っております、捕縛する事も叶わず今をもってして行方不明だと。
そして恐らくは」
口元に手をやりながら呟く。
問うというよりは本当に独り言が漏れているだけの様子で。
「分家の中でも、本家と血の濃度が近い方だったのでしょう。
あの家から離れて生きてゆくには、血が濃ければ濃い程・・・憔悴せざるを得ない事態になりましょうし。
でなければただの獣だった貴方に殺されるとは思えません」
「おう」
笑う。
「所詮はわしもただの獣よ」
低い声で笑う。
草むらに長身の体を倒しながら、血で汚れた口を大きく開けながら。
前足に力が込められ青年の胸が一層押さえつけられる。
「何も知らずに喰うた肉はカラカラだったというに天上の味だった。
啜うた血や臓腑は蜜のようだった」
うっとりとした声色で訴えるも虎の瞳は変わることは無かった。
「あんなにも美味いものを喰うたのは初めてだったからな」
虎の瞳孔はその時から迷いを持った。
「ぬしには分かるまい、ぬしの血肉がどんなに甘美な誘惑を持っていようか」
忘れえぬ誘惑を求め続けたのだろう、この虎は。
口にするごとに増す『何か』に後押しされながら。
目に見える力の弱いものを腹に収め続けるうちに。
徐々に目に見えぬ、気配がするだけだったそれらを感知し始めた。
触れることが出来るようになった。
そこまできたら後はそれまでと変わらぬ。
喰らい続ければイイ、殺して奪って喰らい続ければイイ。
決して踏み出しては成らぬ領域へ侵入してしまった。
その事に不安を感じなかったわけではない。
が、止める事も出来ず、後戻りも出来ず。
腹の奥でうごめくあの人間の血肉がもっと喰えと語りかける。
もっと喰え、もっと喰え、もっと喰え。
喰い続けろ腹が千切れるまでそして。
「アレを知った」

何百と続く影鳥の足よ。

何千と光る死霊の眼よ。

何万と響く鈴の音よ。

「アレは此方に干渉しようとはせず、ただ背後に在り続けた」
「そうでしょうね」
冷淡とも呼べる声で青年は返す。
「干渉どころかあなたに危害をくわえる道理を彼らは持っておりませんもの」
その事は幸いにして災いとなったのだろう。
哀れなほど弱りきった声がおうと喉の奥から漏らされる。
在り続けられる事が、この虎から平穏を奪ったのだろう。
穏やかで過ごしやすかった竹の囁きは全くの別物となってしまったのだろう。
偶然の邂逅が悪魔のような囁きをもって業の顛末を呼んだ。
「戻りとうございますか」
青年の問いから逃げるように前足を退ける。
全くその様子は悪戯が過ぎて当惑しきった子供のようだった。
「それでは、いっそ駄目だと諦めていらっしゃるのでしたら、供にゆきますか」
見下ろす。
決して強靭とは呼べぬ細い肢体は押せば容易く潰れてしまうのだろう。
あの時、口にした夏山の同族と同じように。
「・・・わしは、人間とは違う」
快楽に従って様々なものを喰ってきた。
それは業ではない。
「懺悔などせぬ、贖罪などせぬ、許し請うなど決してせぬ」
アレの視線に心が屈してしまった事。
アレの足音で心が疑ってしまった事。
アレの存在に・・・内から囁く恐れに魂を売ってしまったこと。
「わしは他がどうであろうと関係無い。
が、わしの魂の穢れだけは許せぬ」
それこそが獣の業だった。
「アレを受け入れよう、そしてぬしを喰ろうてやろう。
悦べ、最上の血肉を持った人間よ、ぬしの願いとやらに付きおうてやる。」
虎という皮を捨て、超えてはならぬ領域を超え、虎は獣と成った。
「わしとて魂の禊は必要だ。
その仕上げにぬしを喰らう事でわしの禊は完成する」
不遜なまでのその声に、青年は満足げに頷いた。
「霊獣、王虎。
あなたに名を与えます。
日出ずる土地、暁の意。
明けの夜に進軍する将たる名を」
東征。
どうか夏山の千歳を守っておくれ。

そして獣は大きく口を開き、青年の脚に噛み付いた。
posted by 夏山千歳 at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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