2008年03月21日

東征 弐




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夕暮れの訪ね人は香り高き花の名を持った婦人だった。

あの後、もしまだ引き取り手がいなければ自分が譲り受けたいといった内容の手紙をしたためて、ポストに投函した。
既に引き取り手がついている可能性が高いと思いながらも。
店に出されてから、一度きり、見に行ってから。
もう何日も経っている。
何日も経たねば決心がつかなかった。
文字通り身を千切られる決心をせねばならぬのだ。
それだけのリスクを負わねば、千歳には従えられない。

ただの個人である千歳ではいけない。
夏山の千歳でなければ。

「鍵は此方に」
この細い鉄の塊ヒトツで、あの仔が得られるという。
礼を告げて受け取った鍵を掌の中で転がした。
空洞のような軽い音。
もしまだ引き取り手がいなければ、その運に賭けて、その縁に賭けて。
そうして得たものを未だ呆けた心地で見つめていた。
縁は確かに紡がれた。
「それでは後ほど、引き取りに参りますね」
梔子の花に従わぬ獣。
無骨なればこそ、花に触れれば手折る事を恐れ腰が引けようか。
それもまた可愛かろな。

そんな事を思いながら。





檻から開放すれど、その獣が飛び掛るような事は無かった。
鎖を引き山道を歩き白亜の城に辿り着くまで。
唸り声ヒトツ上げる事無く大人しく後ろをついてきた。
はち切れんばかりの欲望をその身にひた隠し、喰ろうてやると睨みつける眼はあの日から変わらずとも。

「そんなモノ欲しそうな眼で見たって如何しようもありゃしませんよ」
鎖から手を離した途端、ほとばしる殺気を抑えようともしない。
爪を立て、毛を逆立て、牙を剥き。
私の全てなど喰らったところで、お前の腹が耐え切れないだけだというのに。
「とは言え、見所はありましょう」
夏山の血肉に反応するようならば獣としては最上級だ。
「これは取引ですよ」

白蛇に左の腕を。
日の昇る刻のみ、山を支配していた大蛇よ。
黒獏に右の腕を。
日の沈む刻のみ、山を支配していた夢魔よ。
幼竜に右の耳を。
生き長らえさせるために、生けた屍と成り果てさせ。
霊獣に血の液を。
産まれた瞬間から定めとなりて、彼女達と契約した。

「お前には」

お前には東征の名をやろう。
日出ずる土地、暁の意。
明けの夜に進軍する将たる名を。
どうか夏山の千歳を守っておくれ。
「其のかわり、私の両脚を差し上げましょう」
なぁに、千歳は生まれた時から夏山でしかない
お前好みの主でいてやろう?
屈せず、疑わず、不羈たる孤高の魂。
「ですから私の獣に成りなさい」
夏山の千歳ならそれを叶えられる・・・。

「私の願いを達成するには、お前の力が必要なのです」


posted by 夏山千歳 at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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