2008年02月02日

夢幻

青年はその空間に横たわるようにして浮いていた。
例えるならば、水の中で仰向けになっている状態がよく似ているだろう。
身体中が粘度の高いものに包まれている。
身をよじる事も、指先を動かす事も、瞼を開く事も酷く億劫で。
浮いているのか、沈んでいくのか、そも存在しているのか。
何もわからないまま青年は其処に居た。

「千歳」

軽い力で睫毛が開かれる。
辺りは一面の闇だった。
赤や黄や青や、発色を内に秘めた色彩豊かな空間だった。
少なくとも目に見える範囲は。

「千歳」

気だるい光景とは裏腹にその声は涼やかだった。
よく通る、明瞭な。
風のような。

「・・・だれ・・?」
どうにかこうにか肺から搾り出した声というものは、いけない。
寝言のような不鮮明さに顔が歪む。
視界の隅に白い靄が見えた。
白妙のものとは違う、鋭角な輪郭が青白さを持って発光しているのを見て。
それは翼なのだと、ようやく気付く。
「ことりさん・・・」
麦穂色の髪が暗闇にたなびいていた。
雨の夜に失踪した仔鳥。
春を売る店に身を寄せていた少年。
青年がその店の主人と交換条件で数ヶ月間、世話をした相手だった。
昼も夜も傷つき衰弱した心と体を。
寂しげな笑みで客を取り、時には青年に寄り添い眠り、壊してくれと泣き叫んでいた。
羽根をもいでくれ、腕をもいでくれ、足をもいでくれ。
抱いてくれと。

結局、何一つ、出来なかった。
そういう相手。

「千歳、あんまり、元気じゃなさそうだね」
視点が定まってくる。
長い麦穂色の髪、大きな空色の瞳、同色の振袖、豊かな純白の翼。
愛嬌のある顔立ちをした少年、痩せ細った少年。
首をかしげて笑っている。
問い詰めたい事は幾らだってあった。
どうして急に姿を消したのか。
今まで何処に行っていたのか。
右業は決して喋ろうとしない。
何よりも、これは夢なのか現なのか。
「堕ちよう、癒しの暗闇へ」
少年は腕を伸ばし、無邪気な笑みを浮かべている。
「・・・千歳はもう十二分に」
吐き気がした。
その姿があんまり自分に重なるものだから。
無邪気な顔で人の体温を吸い取る、被虐的で寂しがりの哀れな生き物。

「知ってる」
少年の顔から装っていた無垢なものが消え去る。
それは青年も初めて見る表情だった。
一羽の仔鳥が、一人の青年へと変化した表情だった。
その事に小さな安堵と淋しさを感じながら、青年は口を開こうとする・・・も。
「大丈夫、きっと近いうちにまた会えるから。
わざわざ俺の羽根をあの仔竜に食わせなくてもね」
胸の奥が微かにざわめく。
「もうあれしか俺が俺だった頃の形見は残っていないんだからさ、大事にしてね」
「貴方も、勝手な事を仰います」
確信をつかれた動揺を見破られまいと、視線を逸らす。
その行為こそとっくに見破られている事の証拠だと承知の上で。
少年は何か言いたげに・・・からかいの表情混じりで・・・していたが、弾かれたように顔を上げ、舌打ちをして虚空を睨みつけた。
「駄目だ、もう時間が無いね。
大丈夫だよ、千歳、また会える」
やや早口になり焦った様子で。
「また会」






目が覚めたと同時に、部屋を転がっていた球体はその活動を止めた。
ここ数日、眠っていた青年の代わりに来客の対応を任せていたもの。
青年であり青年ではなく青年自身でしかない。
肉体は違えど、それを通したやり取りの記憶が脳に残っているのなら、それを青年と呼んでも差し支えは無かろう。
半身を起こし、動かなくなったそれをぼんやりと見つめていた。
夢、幻の如く。
あれは自分が望み脳が見せた夢だったのだろうか。
それとも・・・現に干渉する夢だったのだろうか。
そこまで思考を辿り、ようやく気付く。
頬に手をやり困惑の表情で。
鉱石のような硬い瞳のまま。

青年の頬は幾本もの線で濡れていた。
posted by 夏山千歳 at 02:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/81955531
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック