2008年01月28日

白妙の姫 参






..
風が吹く。
その日は空気の澄んだ夜だった。
凪が呟く。
群青の空に月明かりが眩しかった。
あまりに静かな邂逅だった。
あまりに静かで、誰も気付かない邂逅だった。

全ての生き物が寝静まったと錯覚させられるほどの深夜。
一匹の狐が青年の寝室に現れた。
四つの尾を持つしなやかな。
白い毛並みの美しい狐。
ベッドから伸びた白い腕は、その気配にピクリともしない。
あり得る筈が無いのだ。
この城にまことの侵入者が居る事など。
一時的に契約を結んでいる蔦や茨が反応を示すはずだし。
そうでなくとも右業が彼らを見逃す事は、まず無い。
使役獣とは意識を直接リンクさせている、右業の知らせを受けて青年が目覚めぬ事などあり得ない。
ならば何故、白狐は此処に居るのだろうか。

それは、白妙が彼女を呼び寄せたからだった。

常は靄のような状態でしか現世に姿を現さない霊獣が、この夜は何時に無く明確に現出する。
巨大な猫のような獣だった。
毛並みの一本一本が月光を反射して光っていた。
しかしその骨格は大きくひしゃげ、とりわけ背骨の状態が酷い。
波を打ったようにでこぼこと折れ曲がり原型を留めていない。
その上、下半身は千切れたような風袋で、とても生きた獣の姿には見えなかった。
「こんばんは」
白狐は水のように変化する。
細く長い肢体の、美しい妙齢の女性に。
霊獣もまた変化する。
身体の歪みはそのままに、瑞々しい少女に。
どちらも色素が薄く、ぼんやりと闇に浮かび上がっていた。
誰かがこの光景を見ていたらこう表しただろう。
天女達が地上に降りてきた、と。

手を伸ばす。
『九臥ノ神』
鈍重な波紋が広がる。
霊獣の声は外見に反して、貝の中の漣のように鈍く低く重かった。
『ごめん、なさい』
指先が絡み合う。
その様子はなまめかしくも、どこか神聖だ。
触れる箇所からマナを吸い取り、霊獣は人の姿を得る。
そうしなければ意思を伝えられないから。
彼女一人では意思を伝えられないから。
「大丈夫ですよ」
反して白狐の声は滑らかだった。
「狐はマナを消費させぬ使い方に長けているのですよ」
『消、費』
霊獣の呟きに狐は微笑みながら頷く。
「循環させるのですよ、中で。
できるだけ外に出さないように」
握り合う掌から温かいものが二人の間を駆け巡る。
霊獣のむき出しの腹から零れ落ちないように、巧みに流れを作りながら。
白狐は穏やかな声色で続ける。
「あなたのお腹の穴から、マナが落ちていくのはわかるかしら」
ねじれて千切れた傷跡はよく絞った布に似ていた。
それでも傷は塞ぎきれていない。
隙間と呼ぶには大きな穴から、絶え間無くマナが放出され続けているのだろう。
これもまた霊獣が衰弱してゆく要因のひとつだった。
「切り口は精霊質の根元切断ね。
背中と声は、それの余波で歪んだもの・・・おおよそ人の力でできたものじゃない」
霊獣は目を伏せる。
懐かしむように、悲しむように。
『変化の術、は、正しいものじゃ、なかったの』
どうして一家の跡取りが、義妹と叔母を置いて放浪しているのか。
『貴女の子の術・・・言霊、に近い、の』
「本質を作り変える術」
『そう』
十年以上前に起きた夏山家の惨劇。
千歳の実母が狂気に陥り、家の殆どの者を死に至らしめた。
生き残ることが出来たのは千歳、義妹の鞠、鞠の実母の律の三人。
後は離れた敷地に家を持っていた遠縁の親戚だけだった。
『反、動の獣の、血は世界を歪ませる』
その際に、実母が死に際に残した呪いを。
『浴びた私も、子供も、女も』
全てはそれを解くために他ならなかった。
『全て、代償』
あの夏の日の惨劇は、今だ続いている。
posted by 夏山千歳 at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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