2012年08月30日

第三章 禊と楔




..
―――23:01

あなたの強さに憧れた。
何度、傷ついても悲しいことがあっても前向きに生きていこうとする、その夜明けをまっすぐに見詰める視線が好きだった。

カナン。
あなたがその選択をすることを、私は知っていた。

あの冬の日、幻想に包まれた会場で手を伸ばしてもらえた事がどれだけ励みになったか。
すまし顔のあなたが崩れ落ちそうになる姿に、どれだけの歓喜を覚えたことか。
今だってそう。

いつか君の伴侶と話したんだよ、あなたの魅力について。
私の心にもあるような、あなたのその欠けた心が、どうしようもなく愛しかった。
同時に、いつかその欠けた部分を埋めて笑うことが出来たら、それはどんなに美しい笑顔だろうって、話したんだ。
それを知っている人があなたを愛していることに、心の底から安堵した。

「そう、そうです。あの・・・・・・おいでなさいな?」
「カナン」
「ねえ・・・・・・いっちゃ、やだ・・・・・・」
「カナン」
「いかないで。いか、ないでぇ・・・・・・っ」
「・・・カナン」

この強い心が、まるで子供のように泣きじゃくる。
その一瞬にこそ、私は強い充足を覚える。

カナン、それじゃあいけないんだ。

互い、繁栄しているか衰退しているかの差はあれど、身分のある家に生まれついて。
将来がどうあるかもおおよそ決まっていた。
人前での振舞いは、殆ど決められていた。
言葉遣い、仕草、感情の持ち運び方さえ、私達に選べるものは何一つとして無かった。
けれど私達は、それに対して一度だって厭った事は無かっただろう。
責任を、人の上にたつことによって生まれる大きな重圧を、背負って生きることに納得してきた。
あなたと私は、きっと似ている。
そして私はこの世でただ一人、最も対等にあれると思ったのは、あなただった。

目の前の淑女の姿がぼやける。

あぁ、子供のように床に座り込むなんて、何時振りだろう。
そういえば覚えているかな。
第三幕のマドラスの宴で、あまりの会場の異様さに私達、扉の前で笑い崩れたっけね。
あの頃だっけ、あなたがうっかり私を呼び捨てにして、私がそれを喜んで。
私もあなたをカナン嬢ではなく、カナンと呼ぶようになった。
・・・あなたの伴侶の前では、カナン嬢って呼んでいるのは此処だけの秘密だよ。

「カナン」
上げた顔のあどけなさに、思わず笑みが零れる。
行く先を失った私を、あなたの故郷に連れたがっていることは、天啓にも等しい直感で知っていた。
ううん、『彼女』に教えてもらったのかも、しれない。

『ここ、は・・・とても優し、くて、お父様も、お母様もセン、リ様も、おじさま、方やおじいさ、ま、も。
フェイト様、も、優しく、て』

目を瞑れば浮かび上がる、彼女の網膜の先に写る幸せな情景が。
無垢すぎるほどに純粋な心が見詰める世界、好意。
カナン、あなたも同じものを与えてくれると確信している。

けれど受ける心は違う。
それを尊びながら、私の心は満たされないのだとしたら、あなたにどれだけの悲しみを与えるだろう。
それを間近で見る私は、そのことに深い充足と、底の知れない悲しみを覚えるだろう。
めでたしめでたし。
眠れぬ夜に母が話してくれた昔話のような理想は、想像したことも無かった。

掌へのキスは懇願。
額へのキスは友情。

離れようとする細い身体を引き寄せる。
小さな悲鳴と共に、簡単に腕の中に納まった。

「カナン」
あぐらをかいた上に座る、小さくて暖かい身体。
こんなに近づいた事は無かったね。
心臓の音が聞こえる。
私の心臓の音も、聞こえるかな、まだ聞こえるかな。

「解散式をしましょう」
ミルク色の髪からは仄かな薔薇の香りがする。
「私達はチームです、いつまでだって、望む限り、これからも」
やわらかい兎の耳が頬に当たってくすぐったかった。
「だから解散式をしましょう。
中途半端で終わらせるなんて勿体無いですもの、今というこの時にピリオドを打ちましょう」
どこまでも対等なあなた。

「カナン、そうやって何度も何度も傷つきながら前を向くあなたは、本当に美しい」

愛してます、自分の欲に素直になって良いのだと知った、あなたをも。
大好きな友人、大好きな・・・鏡の君。
手を離す、あなたはきっとあのカフェに来てくれると信じているから。

ごめんね、カナン。
傍にはいられない、あなたと伴侶を傷つけたくない、私は『彼女』のようにはなれない。
それでも大丈夫だよ。
私達は愛の意味を、よく知っているのだから。

私達は欲望を見つめる術を、よく知っているのだから。


―――17:23

よく晴れた朝だった。
もう夏が終わるというのに輪郭のはっきりとした雲が真っ青な天空にかかっていた。
障子の先に広がる光景を、目を細めて見上げる。
それでも日陰にいれば風に涼が混じり、秋の風情を感じさせた。
大陸の最後は気持ちの良い朝だった。

身支度を整え、台所に向かえば既に機械人形のメイドは朝食の支度を殆ど終えていた。
「おはようございます、ムーン。
いつもよりご馳走ばかりですね」
「おはよーございます!
はい、きょーはがんばっておいしいものいっぱいに、してみましたです!」
作業台に乗った人形が元気の良い笑顔を向ける。

クロワッサンに季節のサラダ、かりかりベーコンにハムを焦げ目が付くくらい焼いたもの、ハーブ入りソーセージ。
卵料理はスクランブルエッグとオムレツから好きなものを取り分けらえるように。
トマトは焼いて甘みを増し、マッシュルームはオリーブオイルで、ビーンズはあまり水気が無いように煮てある。
牛乳とオレンジジュースはお好みで、密かに青年が好んで飲んでいた水出し紅茶で作ったソイ・ティー。
サラダに入りきらなかった夏の果物はどっさりと、ヨーグルトも添えてある。

「食べきれる・・・のは、きれるでしょうねぇ」
大食漢で有名な城主と娘を思い浮かべるが、それにしたってあまりにもな量に苦笑がもれる。
「一日のげんきはおいしい朝食から!
千歳様がおしえてくれたですよー?」
「まぁ、そうですね」
配膳を手伝うべく大きなトレイを取り出し、まずは人数分の皿の用意を、と。
そこで手が止まる。
「・・・ムーン、今朝は白藤殿はいらっしゃいましたか?」
「ううん、見てないですー」
「そう、なら良いです・・・彼の分もとっておきましょうね」
「はい!」
近頃、顔を見せることがめっきり減った白狐の青年に想いをはせる。
最後の日の朝食くらい、共にしたかったけれど。

「これがみんなでいただく、さいごのごはんなのですね」

手が止まる。
そうだ、今日の夜には『彼ら』はこの城から出立しているし、自分も何かと奔走しているだろう。
城主の白刹、その主人のセシュウス、友人夫婦の子供である太雅、遊陽、唯、機械人形のムーンに自分。
朝と晩の二回、この七人で食事をするのがすっかりいつもの風景になっていた。
それが終わる、それが無くなる。
がらんどうになった部屋のように、こんな些細なことで終わりを意識する。

「だから、きょーはいっちばんたのしい、パーティーなのです!」
にっぱーと。
まるで何も知らないような笑顔で機械人形は続けた。
この子は知っている。
かつて目の前で哀れな魂を喪った、命がなくなるということを、何かが終わるということを知っている。
それでも、その上でそうやって振舞うことを選べる。
それだけの経験を積んだ、確かな魂の持ち主になった。
「・・・うん、今日は今までで最高の朝食ですね」
「パーティーなのですよー!」
頬を膨らませながら怒る機械人形をはいはいと宥めながら。
どたばたと階段を下りて食堂へ走る住人の足音を聞いた。


―――16:30

想像以上に騒がしい朝食を終えて。
子供達に毎日の習慣だった各自の家の手伝いをさせている間に、大人達は食後のティータイムに興じていた。
「では話は通しておきましたから」
「ん、サンキューな、ちーちゃん」
「はい、大ぱぱ様の研究室も誂えさせておきましたから、いつでもお立ち寄りくださいましね?」
「ふん、そこまで請われたのなら考えてやらんでもない」
白刹は旅に出るのだと聞いた。
子供達は連れて行く予定だったようだが、上の双子はともかく、まだまだ小さい唯もいる。
なのでせめて定住の地として夏山が所有する保養地を預けることに決まった。
元より管理する人手を探していたような場所だから、家の方に連絡をしても問題無いと返された。
夏山本家とは大分離れて、これまで住んでいた土地と似た様な気候、環境だと聞く。
きっと穏やかに過ごすことが出来るだろうと思った。

「子供達が無事についたら夏山本家へご連絡くださいな。
困ったことがございましたら同様に、そういったものの全般を取り仕切る分家の者がおりますから」
「うん・・・ちーちゃんも次の定住地が見つかったら早く連絡すんだぞー?
家の人も心配すんだろ?」
「あはは、はい」
私がどうするつもりなのかは話していなかった。
城主の主人である男性は察してはいるようだったが、忠告をされたのは二人っきりの一回だけ。

「何をどうしようと構いはせんが、終わってしまえばそれっきりだ」

一度、死した彼だからこそ喪うことの重みを誰よりも知っている。
深い感謝の気持ちを告げて、それっきり、今日まで一度も話さなかった。
「お昼には出立されるのですよね」
「うん、太と遊と唯連れて、少しアクサスで遊んでからそのまま船に乗る予定ー」
「ムーンはムーンで行く宛はあるのだったな」
「えぇ、彼女は執事喫茶にご挨拶に伺ってから、幻灯城に向かうそうです」
しかし実際のところ、機械人形の行く末を深くは聞いていなかった。
彼女の主人として登録してある『先生』なら、連れて行くにせよ手放すにせよ、機械人形にとって無体な選択はしないだろうと。
そういうことの出来る人では無いと、強く信じていた。

「お二方とも、子供達も勿論ですけれど、お元気でいらっしゃってくださいね」
「ちーちゃんもだぞー?
ってゆーか、ちゃんと住む場所見っけたら早く連絡寄越すんだかんなー!」
「やかましい、朝から騒ぐな」

遠くで子供達のはしゃぎまわる声がする。
きっと私達が居なくなっても、この城には家族の団欒が響き渡るだろう。
ここで何度も過ごした365日の全てが、温かかった。

ここが私の家だった。


―――13:04

そうして。
花壇への最後の水遣りを終えて、いよいよこの城での仕事も無くなり。
早めに出立した四人と、続くように出て行った機械人形の少女を見送り。
がらんとした城の自室で一人きり、立ち尽くしていた。
窓から差し込む光と真っ暗な室内のコントラストは鮮明だった。

家具があった箇所と、そうでない箇所の壁の日焼け跡を、ただぼうっと見詰めていると。
「千歳様」
背に柔らかな圧力と、心持ひんやりとした空気。
耳慣れた声。
「ユキ嬢」
無垢で無知な心、か細い声、臆病な心、それを超えた優しさ。
鉱石のような瞳の、結晶生物の少女。
小さな声で感謝を切り出された、そのまま告げられた言葉は。

「私、天界に行くの」
「・・・うん」
よく知った名の天使の導きで天界に上がるという。
目を瞑る。

この大陸に脚を踏み入れた時から。
あなたはずっと傍らに居て、色んな土地を歩いたね。
友達も沢山いた、一人ずつ、眠りについていった。
二人で静かに見守りながら、そのうちにそれぞれの行く道を見出した。
あなたは恋の道を、私は愛の道を。
私達は比翼連理だった。
同じベクトルにあった私達の心は何時しか離れて飛ぶようになった、飛べるようになった。

あなたを愛した沢山の人の笑顔を眺めるたびに、心の柔らかい部分が暖かくなったよ。
良かった。
この子は私が居なくても大丈夫だって、思ったよ。

ユキ嬢、私は何時でもそう考えてしまう。
この人の周りには沢山の人がいるから、私が居なくても大丈夫。
この人にとって私は必要が無いんだって、そう、考えてしまうんだ。
自分自身がそう思われる立場になったら、誰一人だって特別な存在だって胸を張っていえるのに、それを自分自身に当てはめることは出来なかった。
私は不要なのだとしか思えなかった。

「ねえ、千歳様は、*くなったらどこにいくの?」

沢山のもしもが重なって、あなた達の元に昇ることがあるような仮定を無邪気に話す。
肯定も否定も出来なかった。
あなたの希望を潰えるような事も、あなたに希望を持たせて潰すような事も、出来なかった。

0と100の間であなたは祈っていてください。
有耶無耶の境界線は残酷なまでにあなたを苦しめるでしょう。
答えを寄越さなかった私の選択が静かにあなたを蝕むでしょう。

それでも、ユキ嬢、想像することはどこまでも自由だ。
この世界という枠を超えた未来時空、過去時空の全てに数多生まれるIFの存在を、あなたは愛しなさい。
自由の翼で飛び立ちなさい。

あなたが誰かに愛を振りまけば、それはね、つまり、あなたに愛を差し上げられた私の愛が誰かに届くことを意味するのだから。

「ねえ、千歳様。
私はどんな顔でいる?」

あなたは起伏の少ない表情の中で、でもいつでも確かに笑っていました。

「どうか、笑顔で覚えていてね。
もうすぐ私は千歳様の知ってるユキ・トーカじゃなくなるけれど」

私のことも笑顔で覚えていてください。
どんな結末を選んでも、私は笑顔でその一歩先に進みます。
ユキ嬢、私は何時だって幸せなのです、幸せを求め続けていたのです、だから幸せなのです。

「青い結晶妖精は笑ってあなたの傍にいたの」

あなたは何時でも私の傍に居た。
どうかこれからは、あなたの一番大事な方の傍にいてください。
そして祈っていてください。
数多あるIFの全てであなたと私と彼が笑顔であることを。

「居させてくれて。
ありがとう」

居てくれて、ありがとう。
嬉しい時も、悲しい時も、何時でも傍に寄り添ってくれて、ありがとう。


もうヒトツだけ。
願う事が許されるのならば。
どうか、私の分まで彼に優しくしてください。
あたたかな楽園で、どうか二人仲良く、いつまでも幸せに過ごしてください・・・。


―――13:43

ようやくこの城にかけた何重もの結界を、全て解除し終えた。
夏山のマナに浸されたこの地には、不浄のものが集りやすくなるだろうが、それもいずれ時と共に風化していく。
神の加護から解き放たれた瞬間。
大陸は崩壊するのだろうか、それとも意志あるものの全ては弾き出されるのか、内外に分けられるのか、全く憶測がつかなかった。
アース神の破壊の力は神教の一説でも有名だったため、破壊尽くされるのではないかという説が噂の仲では頭角を抜いていた。
それももう、どうでも良い事だと、無責任ながら思う。

結界をとかれて尚、そこは温かな日差しが降り注ぐ気持ちの良い土地にしか思えなかった。
小鳥の鳴き声が響き渡る。
潮の香りに混じって。
「・・・?」
顔を上げる。
大森林に囲まれたフェアリーシティで、潮の香りを感じる筈が無い。
「あなたは」
見上げた先には、ラヴェンダー色の羽根を銜えた一羽の小鳥。
その両方に見覚えがあった。

千歳っぽい色だから、と。
部屋においていかれた空色の小鳥。
乾燥したとうもろこしに青葉、水を用意して放鳥しておいた。
暫く何日かばかり庭先で遊んでいたようだけれど、いつの間にか大空に帰っていっていたらしい。
動物は好きだけれど、束縛することに興味を覚えない故の行動だったが。
彼女も思考形態は違うとはいえそういう部分のある少女だったから、きっと怒らないと思っての行為だった。

その空色の小鳥が、羽に潮風を含ませて、羽根にラヴェンダーを纏わせて。
「・・・うん、お疲れ様」
止まり木に休ませて、家庭菜園から青菜を少しと水を持っていく。
長期間の飛行を行ったのだろうか。
消耗しているように見えたが、少し休めば見る見るうちに回復するだろう。
結界を解いた反動で、ここにはマナが満ちている。
その恩恵を一心に受けて、またすぐに飛び立っていくのだろう。

小鳥から羽根を受け取る。
何の変哲も無いようで、魔力を通せばナイフのようになる特殊な羽根。
常に身に着けていた羽根飾りの中にも、かつて少女から譲ってもらった羽根が混じっていた。

妹のような、娘のような、存在だった。
揺ぎ無い価値観の中、細い両足でしっかり地面に立っていた。
それでいて時折、無表情の中に不安そうな瞳をにじませるような、優しい子だった。
潮騒の国の友人。
白猫の少女と戯れる姿は、見ているだけで微笑ましかった。

あの夜、あなたの前で初めて泣いた私を、ぎゅっと抱きしめてくれた。
国外社交場にもきょろきょろ忙しない様で、それでも来てくれた。
夜遅くに灯りがともっていれば、そっと毛布を忍ばせにきてくれた。

「・・・帰りたいね」
小鳥の頭をそっと撫でる。
子守歌のように響き渡る潮騒の国、皆の父のような国王と、それを支える万物の母のような白猫。
知に長けた旅人に、陽気な茶色い猫、いつもよりやわらかく笑う青の旅人。
そしてあなた。
「もう一度、帰りたかったね」
あの地に至ることで、初めて守りたいと思えるものに出会えた。
「だから、せめてあなただけでももう一度、お帰りなさい」

帰りたい、寂しさと引き換えに嫉妬を知ること無く無邪気に笑って過ごした、あの日々に。
還りたい。
さざなみが紡いだ、あたたかい夜に。

還りたい、あの眩いばかりに蒼い海に浮かぶ国へ。

「・・・うん、きっと、あそこが私の」
千歳ー、と手を振る少女の姿を幻視する。
そこには長毛の白い猫が居て、波音を聞きながら他愛も無い一時を過ごす。
はやく帰ってこいよー、だなんて。
懐かしい香りと共に、そんな白昼夢を抱いた。


―――05:47

太陽が沈み行く。
虚典の解散式と、国外社交場の閉会式を抱えて急ぐ道は、赤い日の色に染められていた。

この道を歩んだ今までに何があったのだろう。
もう振り返ることも叶わない程に、時間が押し迫っている。
この道の先には何があるのだろう。
そこには自分の望みしかなく、しかして願いとは程遠い、執着の末に紡いだ悲しいほどの愛の物語。

「千歳」
ならばこの耳を犯す、その声も必然だ。
「ジフィ」
振り返った先には、赤い花に口付けた青年が一人。
撫で付けた金髪に黒いカソック、青い瞳に白い羽根、智の位にある天使だった。
花に口付けたまま薄く微笑む。

「じき・・・滅びが始まるな」
そう。
もはや6時間の猶予を切り、アースはこの大陸の加護を捨て去る。
海を空を、もしくは時空転移を問わずして、人々は大陸を脱出する準備をしていた。
無論、大陸と運命を共にする人々の姿もあった。
私は。
「・・・いつでも待ってるよ。
天国でな」
未だ決めかねている。
懐に仕舞ったチケットが私の決断を鈍らせていた。

「私は」
「・・・・・・既に死にそうな顔してるけど
地獄になんか、オレが落とさせない。
後悔しろよ。
あんたの選択を」
「・・・私は・・」

言葉は意味を見出せず、夕焼けと共に大気に溶ける。
目の前の天使は道化のように吐息だけで笑っていた。
椿の護る傍らで。

うなだれる私を暫く見詰めた後、その天使は祝福の言葉と共に十字を切った。
その瞬間、季節外れの突風が二人を叩きつける。
反射的に目を瞑り、まばたき程の時間で瞼をあけると、もうそこには誰も居ない。

「・・・行か、なきゃ」


ジフィ。
それでもあなたの隣には。
そしてそうであるなら、私は―――。
あなたは最後まで、私の天使だった。
天使で有り続けた。




―――29:46

その淑女は派手な人だった。
豊かな金の髪は勿論、陶磁器のような肌に、薔薇の芳香。
鋭利な印象を与える口調、それとは裏腹に理由をこねた先にある他者への思いやり。
その彼女から呼び止められる。

「千歳君」
有無を言わさずチケットを手渡された。
「死ぬ気なら、もっと苦しくなる方法であがいたらどうかしら」
「・・・、・・」
押し付けられたまま、受け取ることも拒否することも出来ずに硬直する。
死にたがりの気質は以前からそうである中で。
あまりに短く少ない付き合いの中、深いシンパシーを感じるこの淑女は、鋭く見抜き行動した。

彼女はきっと解っている、私の願いの全てを。

「・・・で、も、もう苦しいのは嫌・・・なのです」
「なら、あたしが開放してあげる」
搾り出すような声を、はっきりとした発音が掻き消した。
今、何て?
思わず目を見開き、その人を瞳を見つめ返す。

「苦しまないための苦しい方法を教えてあげるよ」

胸が。
胸に置いた手が、強く心臓を掴む。
そんな方法、ありえるのか、と。
誰一人だって、そんな方法を提示してはくれなかった、そんな中で。

「その決心がついたのなら、このチケットの場所まで来なさい」
深く深く何かが繋がりあう心を持った人とは言え。
知り合ったばかりで、何もかもを預けるようなまねが、できるというのだろうか。

私と彼女を繋ぐものに名をつけるなら、そこに恋のような惹かれ合う感情は存在しない。
親愛。
あまりに似通った性質をどこかに隠し持っているような、不確かな確信の中、しかしどうしようもなく拭いきれない共感が繋がりあう。
これは、賭けだ。
私はきっと最後まで悩み続けるだろうことが目に見えていた。
すっかり楽になるつもりでいた、この心と身体を生かすための役の提示。

これは、希望という名の、賭けだった。





―――00:05

結局、誰一人としてそれを成すことは出来なかった。


歌って欲しかった。
愛の歌を。
魔法をかけて欲しかった。
愛の魔法を。

誰一人として諍うことの無い世界が見たかった。
けれどそれは早々に叶わないのだと諦めた。
ならば絶対の愛情を注いでくれる、ただ一人を求めた。


この。
羽根をもぎ取り、手足に鎖を繋ぎ、鳥篭に閉じ込めて。

あなたの心を形成する欲望の隅々までを暴き立てたかった。
この嫉妬の炎に焦がれた醜い心を知って欲しかった。
髪を撫でて欲しかった。
抱きしめて欲しかった。
キスをして欲しかった。
私を、あなただけのモノにして欲しかった。


それが私の二つ目の願い。
その両方が潰えて、最後に望んだのはあまりにささやかで、あまりに罪深いものだった。


誰か、私を、殺してください。


だけれど、願いは、叶わない。
何故なら願いとは、叶えるための一切の努力を放棄し心に思い続けるだけの存在だからだ。
幾つものヒントという名の役を組み立てた。
その全ては私が敗北するための役。
カードを裏返してください。
その条件はたったヒトツ。

気付いてください。

私の本懐に、私の願いに。
声に出して訴えるには、この心は脆すぎる。
拒否されようものならば、もう起き上がることだって出来なくなってしまうかもしれない。
そんな恐怖がずっと臆病の鎖となって私の心臓を縛り付けていた。
だけれどね。

そんなものが叶う筈が無い。
そんなものが叶うとしたら、それは、もしかしたら。
何億回を繰り返しても成されることが決定された運命に等しいんじゃないかって。
少しだけ、思う。

眩しいほどの光の中で、生きられるような気がした。
目が焼かれる真っ白な世界が、私の永遠だった。
そして、だから。


―――00:00

最後に届いた手紙に、慟哭をあげた。


ED前 志方あきこ
『白夢の繭−Ricordando il passato−』
posted by 夏山千歳 at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 終焉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「千歳」

(何処かの道中、名を呼ばれて振り向けば
淡い色彩と線の青年が、紅い椿の花に口付けているのが目に入る

(口付けたまま、視線を合わせて薄く笑み

「じき…滅びが始まるな

…いつでも待ってるよ。
天国でな

……既に死にそうな顔してるけど
地獄になんか、オレが落とさせない。
後悔しろよ。
あんたの選択を

(クスクス

神のご加護がありますように…」
Posted by ジフル at 2012年08月31日 21:05
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