2012年07月13日

伽藍の洞に響く水音

「最初の一滴」アンサー


『狐は思った。

この大樹の為になら。
どんなに尽くしたって、きっと足りない。』
     白藤 著「それは花言葉のままに。」より転載


..
その青年との出会いは、本当に些細なことだった。
立ち上げたばかりのハルベルト会議の中で、囁かれた『知恵』の噂。
お菓子を買ってまいりますわと、意気揚々と出かけた女性陣を尻目に、残った男性陣は初めての試合に向けての会議を再開した。
それが二月の頭の事。
水面下でことを進めるのに少年めいた高揚を感じるのか。
やたら背の高い青年・・・千歳の行動は早かった。

日々、農業ギルドに足を運ぶ。
城住まいの千歳には縁の薄い場所だったが、それでも隣接された実や加工品の販売コーナー、宣伝のための掲示板には、青年と同じような部外者の影がちらほらあった。
そういった各種施設のヒトツ、受付近くのパンフレット置き場。
頭から足先まで真っ白な中に藤色をにじませた狐の青年が、一枚のパンフレットを穴が開くほど見つめている。
「・・・もし、そこの方」
人気の少ない受付周辺での予想外の声に、よほど驚いたのか。
声をかけた千歳の肩が跳ねてしまうほどの勢いで振り向かれた。
「あ、え、俺っ?」
「は、はひ。
急な声をかけてしまい申し訳ございません・・・。
その、少し、手の中のそれに関して、お話したいことがございまして」
「え、何、ギルドの人?」
「いえ・・・名乗りもせずに失礼致しました。
私は旅人の夏山千歳と申します」

パンフレットの名前は住宅購入相談所。
そう、今まさに農業を始めようとする人が最初に手にとる一枚の合図。
「ハルベルトチーム、七つの虚典に属する一人です。
専属で実や加工品を卸してくださる方を探して、ここに参りました」
お話だけでも聞いていただけませんか。
それが、そう締めた千歳をきょとんと見つめる眠たそうな狐の青年・・・白藤との邂逅となった。


あまり人を疑うという事を知らないのか。
とんとん拍子に話は進み、折角だからと白鴉城のすぐ隣に白藤は農場を構えた。
会議でそれを打ち明ければ、お祭り騒ぎのような歓声に包まれた。
既に建っている酒場に食料保管庫・・・フェアリーシティの一角は、小さな活気の火をともす。

そうしてチームは始動し、月に一度程、白藤の加工品が振舞われるようになった。
ギルドが定めた加工品以外にも農作物を栽培する白藤は、よく野菜や果物をカフェや白鴉城へお裾分けをしに行った。
千歳はお礼も兼ねて、白藤が顔を出した時は必ず食事に誘う。
白藤は千歳が調理をする背後、ダイニングテーブルに肘をつきながら他愛も無い話をするのが好きだった。
千歳も誰かがいる空間は心地良く、食事までの短い時間があっという間に過ぎ去った。
ぴかぴかの野菜が食卓に並べば、子供達や白刹、時にはセシュウスも現れて、いっそう賑やかな時間が始まる。
皆で囲むご飯は美味しいな!千歳、ありがとう!
白藤は飽きる事無く毎度のように、そう言った。

その日も、いつもと同じだった。
気軽な会話、包丁のリズム、ソファでくつろぐ白い尻尾。
その尾の持ち主が、何の脈絡も無く急に立ち上がる。
「振り向かないでな、千歳」
大根の皮をむいていたのもあってか、千歳は白藤の言葉に素直に従った。
元よりこの青年が悪意を持って害を加えるなんてありえない。
悪戯をするにしても刃物を持っている時を選ぶはずも無い。

けれど、腰に手を置かれ、後ろから肩口に額を預けられた事に動揺が隠せなかった。
「白、藤殿?」
「千歳、俺。
「・・・千歳の、水道になりたい」」
何時もの、元気で素直で可愛い弟のような、声じゃなかった。
全く知らない別人のような、落ち着いた響きが耳にしみこむ。
「千歳が、望んで、蛇口を回してくれたら、いつでも」
腰に置かれた手は決して力を込める事無く、ただただ優しく添えられていた。
それが少しくすぐったい。

「え、あ、白藤殿・・・?」
「・・・俺は、千歳の水道になるから」
千歳はその言葉の真意を理解できなかった。
声音に情欲は・・・恋愛に浮かされた色は、無かった。
無いからこそ、混乱する。

「忘れないで」

包丁を置き、振り返った千歳を、黒曜石の瞳がじっと見つめた。
そこに色に浮かされた炎は無い。
清らかな水にぬれた、太古から存在する石が、意志が。
「・・・は、い、ありがとう」
笑って返すしかなかった。
咄嗟に浮かべたいつものような笑顔に、むしろ白藤は困った子供を見るような笑みを返した。


それが始まり。
それが彼の掬った最初の一滴。

白藤は事あるごとに千歳へ好意を伝えた。
あなたの水道になる、あなたのために此処にいる、どうかそれを忘れないで。
何度も繰り返し、繰り返し、紡がれた言葉は、しかして一度も恋の色を持たなかった。

千歳には理解しがたかった。
彼は、人の欲望はどんな理由であれ何かを求めている、という考えを持論としている。
だから見返りを求めず、ひたすら与えたがる姿勢を理解できなかった。

・・・否、千歳はそれを知っている。
千歳自身も同じだった、庇護対象だと思った相手には無償の愛情を注いだ。
対象からの見返りは一切求めず、それどころか与え続ける自分こそが何よりもの『見返り』だった。
それを自覚している内は、悪にならないと知っている。
だが、一方で目を逸らしている事実がある。
見返りを求めないということは、期待をしないのと同意語だった。
一切の期待を求められないことは、とても楽であると同時に、どれだけ悲しいことなのか。
差し出しても受け取ってもらえない悲しみを、身をもって知りながら、ずっと目を逸らしていた。

でも白藤の見返りを求めない姿勢は、千歳自身のそれとは何か違うように思える。
多分、彼は何かを欲している。
でもその何かが、千歳にはわからなかった。


そうして舞台は整った。
矜持の壊れた千歳と何かを与えたがる白藤。
方程式により、その日を迎えたのは必然と言える。
「千歳」
白藤の囁きは、虚空に溶ける。
肺を通じて、千歳の中に染み渡る。

恐ろしかった。
何の躊躇も無く、与え続けようとする姿勢が、恐ろしかった。
心配だったと言われた。
自分があげられる分だけでもと言われた。
そうじゃ、ないんだ。
「ありがとう」
その度に、うまく笑えたかどうか自信も無く、返した。

無邪気に美味しかったかどうか、聞かれた。
・・・白藤は知らないだろう。
彼の紡ぎ続けた言葉は、千歳の欠けた生命力を埋め続けていた。
三月のハルベルトを精力的に活動させるため。
千歳が動き続けることができたのは、きっと白藤のおかげだろう。
聞かれた、無邪気に、恋を知らぬ年下の若者から、親のように与えられ続けて。

千歳は、もっと欲しいと、思った。

恥じた、あさましい自分を。
白藤の意図しないところで満たされる自分を。
裏の見えない好意で捧げられ続けるものに、満足できない自分を。
『疑う事無く庇護対象だと思っていた存在』から、与えられる自分を。

「ぁ」
肩を押す。
フラッシュバックする。
畳の匂い、足音、酸味の強いチョコレート、強く握られた手首、椿の護る傍らで。
「ひ、・・・ア・・」
震える、肌を刺す空気の冷たさ、深く傷つけた、心臓に何度もナイフを突き立てた。
名前を呼んだ、何度も、でも、だから。



運命なんて存在しないと、あの時、思い知った。



「白、藤・・・殿」
近づきすぎる時はやんわりとたしなめていた青年が、強いくらいの力で押し返す。
落とした視線は不安そうに泳いでいる。
その顔からは蒼白すぎる程に、血の気が引いていた。
「いけま、せん、千歳から離れて・・・」
でも、と続けようとする白藤に、あなたを傷つけたくないと告げる。
納得した顔では無かったが、無理矢理、距離を置かせた。

「私は、ちか、づきすぎた方を、傷つけた事がございます。
物理的にも、です」
「・・・千歳、俺が大丈夫って言っても、納得できないんだろう?」
「そう、その、通り」

大事な人達だった。
優しくしたかった。
でも、その一歩を踏み込まれた時。
蔓草で腹をえぐった。
青ざめた顔、むせかえる血の匂いは、甘美なる蜜に思えた。
死を覚悟をした目は、千歳の心を余す事無く満たした。

後悔した。
殺してしまえば良かったと、何度思っただろう。
罪悪感はこれっぽっちも感じていない、今をもってして尚。

「千歳」
懇願するような、宥めるような、ただ確かなのは落ち着いた声に顔を上げる。
逸らし続けていたそれと視線が絡む。
その瞬間、千歳は消化しきれなかった白藤のあり方に納得がいった。

「・・・私、わた、くし」
「うん」
「いっぱい、うら・・・っ、う・・・・・ぁ」
「うん、大丈夫、ゆっくり」

顔を逸らし、片手で隠す。
決壊するものを見られたくなかった。
最早、矜持はそこになく、夏山千歳を夏山千歳たらしめてきたものが、堤防を越えてあふれ出すのを止められなかった。
頬を伝う最初の一滴。

「裏切って、きた、の・・・!」
「うん」
「やさし、じく、してくれたひと、みんな、皆!!
信じようと、しな、かった、の・・っ」
「うん」
「あ、なたも、必ず、傷つけッ・・・、う、うらぎるの、だから」
「良いんだ」

その距離が縮められることは無い。
きっと一歩でも近寄られれば、千歳は白藤の身を抉っただろう。
白藤が腹の奥底で傷つくことを何も厭わなくても、千歳が自分自身を責め立てる材料にしかならないと知っていたから、近寄らなかった。
俯いて両耳を塞いでかぶりをふって、ぎゅっと目を瞑って。
慟哭が響き渡る。

「だから、もぉ、やさ、優しく、し、しないでぇ・・・!!」

そう、白藤の行動にも言葉にも、情欲が、恋情が存在しないのは道理だった。
その瞳は道を見失い途方にくれた子供の目。
無制限の奉仕のあり方は、唯一神に対する深い信仰そのものだった。

白藤は千歳の生命が途切れる事を何よりも恐れるだろう。
彼にとっての神を喪う事こそ、彼自身の死を超えた恐怖なのだろう。
だから千歳が、千歳自身の悪徳を訴えても否定しない、肯定もしない。

「忘れないで、千歳」
泣きじゃくる千歳へ、ガラス細工よりも優しく声をかける。
今、目の前には、この世で最も尊い神様がいる。
傷つき、傷つけられ、柔らかい心が砕け散り、人を信じる術を失い。
「・・・俺はここにいるから」
零れ落ちる一滴を浅ましく啜る姿を恐れ、高すぎるプライドが立ち枯れて。
それでも、誰よりも人を愛しすぎた故の業にもがき苦しむ、善性と悪徳の神様。

千歳は白藤を受け入れない。
傷つける事も傷つけられる事にも、疲れきっていた。
それを理解して尚、白藤は手を伸ばすことを止めない、止められない。

君がそれを厭っても、最も欲する一滴を、これからも与え続けよう。
君がそれを拒絶しても、君に生きて欲しいと願う人間はここにいる。
そう決めたのだから。


「ここに、いるから」


だから白藤の唇から、その一滴は零れ落ちる。
今日も、明日も、これからも。




(了)
posted by 夏山千歳 at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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