2012年06月20日

花の眠り 完全版

■共通諸注意
この物語は千歳本筋RPです
本筋RPは全体の流れとして非人道的(具体的には近親間の婚姻、カニバリズム等)な描写、設定が含まれる場合があります(アップする際に冒頭注意として上げていきます)
背後様が在学中の方はご遠慮願います
性描写はありません
道徳の分別、現実と創作の区別のつく方、上記の非人道的描写をエンターテイメントと割り切れる方のみ、御覧になってください

今回の話は夏山千歳に深く関わった方にこそ、ショックな内容かもしれません
その辺りをよくよく踏まえた上での閲覧をお願い致します

尚、作品中のゲストキャラクター様には、既に確認と了解を得てアップしている事を明記しておきます


千歳本筋RP 第二部:弐話
2012年6月10日筆


..
この呪われた日々に祝福を。




慌しい歳の瀬を越えて。
白鴉城には、いつも通りの日常が流れていた。
幾つかの新年行事があるものの、それとて年末に比べたら些細に感じる程、ゆるやかな日常。
事は子供達の着付けをしていた時に起こった。

白鴉城には何人かの住人がいる。
城主にして子供達の後見人でもある白刹。
ぱぱ様だとかクロだとか呼ばれている彼は、相変わらず自由奔放に不器用に生きている。
だが誰よりも愛情深い性格ゆえ、子供達のことを深く気にかけていた。
誤作動により起動した機械人形の猫耳メイド、ムーン。
ERENというバンドメンバーが営業していた執事喫茶の二号店に勤務・・・というよりも遊びに行ったり。
幻灯城の一角にある診療所に助手として通う、自他共に認める好奇心の強い存在だった。

上の双子の兄は太雅、妹は遊陽。
二人は外見上は立派な成人入り(十五歳程度を成人と見なすなら)を果たし、幼少期よりはいささか落ち着きを得られたと思う。
とは言え、心優しい部分が見られるものの、太雅は元々、遊陽のこと以外は無関心ではあったし。
遊陽も無垢でありつつも無知とも呼べる天真爛漫さに大きな変化は見られなかった。
その双子から年の離れた妹、唯も幼児から童女と呼べる位には成長を遂げ、ともすれば上二人より積極的に家の手伝いに励むような所が見受けられる。
やや行き過ぎた従属性も見られたが、そこは大人の側で調節すべきだろう、と千歳と白刹の両名は答えを出していた。

子供達は千歳と白刹、どちらの実子でも無い。
両名にとって縁の深かった友人夫妻からの預かり子だった。
友人夫妻は沢山の子を儲けたが、その殆どは精霊質を強く引き継いだ為、ひとり立ちまでの期間が極端に短い子が多かった。
この城で預かっている子らは、上の双子は精霊質が強く、下の妹は殆どバードマンそのままの存在と言えたが・・・それでも成長の早い部類の子達では無い。
そのため、諸事情により深い眠りについている友人夫妻に代わって、預かっているのが現状だった。

だからと言えど、注がれる愛情は本物だ。
楽な事ばかりではないが、辛い事ばかりでもない。
エンゲル指数以外は理想的とも言える、穏やかな日常こそが、そこにあった。

最後に、この城にはもう一人の住人がいる。
名はセシュウス、総花的な研究に没頭する死人だ。
白刹の主人だと聞いているが、詳しい事は、そう耳にしていない。
気ままに各地を放浪し、何ヶ月かに一度戻って来たかと思えば、地下の実験室に篭りきりになる。
しかしセシュウスも子供達、同居人に向ける視線は柔らかだった・・・使い魔である白刹だけを除いては。

この城の噴水や離れの倭建築、温泉も友人夫妻がいた頃に増築された名残だと聞く。
千歳が招かれた頃は既に彼らは自分達の家を持っていたため、元からの城の設備のようで、あまり強い実感を持たなかった。
そう、その頃には既に今の形が出来上がっていた。
ムードメーカーで大食漢の白刹と遊陽、それを微笑ましく眺める太雅と唯、たまに帰宅するセシュウス、そこに加わった自分とムーン。
何度か同居人が入れ替わる事もあったが、この基本の形は崩されぬまま、日々は流れていった。

恐らくそれを慈しんだのは千歳だけではない。
ほぼ全員がどこかで思っていたのだろう、この形が変わることは無い、と。
だから、それが起こった時、真っ先にうろたえたのは意外な事に冷血漢で非人道的なセシュウスだった。



新年を迎えて数日。
エルフロールは深い森に囲まれた国家だ。
有数の人口を誇るフェアリーシティと呼ばれる一帯も同じく、森の中に住居が点在している。

どこの大陸でも、その地域ごとの柱となるモノが存在する。
霊脈、龍道、根源。
全世界を血管のように張り巡らせるマナの大きな流れの上に立つ、パワースポット呼ばれるそれ。
広大な森ともなれば、その役割が湖や大樹になる事は少なくない。
フェアリーシティ内にも、そういった場所は幾つかあったが、白鴉城の面々は行事の際には、近隣にあるヒトツの霊樹に通い続けていた。
「今年も参拝が遅くなってしまって、ごめんなさいね」
「仕方ねーよ、国のこと忙しいんだろ?
・・・ちょ、遊!着物で走り回るんじゃねええぇ!!?」
火の子がはじける音のする暖炉のある暖かなリビング。
千歳は唯に振袖の着付けを。
白刹は子供達の巾着やぽっくり下駄の用意をしながら、子供達の面倒を見ていた。
セシュウスは一人、ソファに座り、ゆったりと眺めている。
大人組は既に各々の着付けを終えており、最後となった唯の帯を整えていた所だった。

「唯嬢は静かにしていて良い子ですね・・・後は髪留めだけにございますよ」
「は、はい、です」
「ちーちゃあん!遊はいいこ?いいこ?」
「うん、そうですね、着付けのとき静かに出来ておりましたものね、良い子」
「あ、ぅ・・・」
ぱたぱたと駆け寄ってきた遊陽を撫でる千歳を、唯は複雑そうに見つめていた。
唯に実の両親の記憶はほぼ残っていない。
だからこそ離れて暮らさざるを得ない事に、憎しみも、悲しみも、特に感じる事はなかった。
唯にとっては白刹と千歳こそが自分を育てて愛情を注いでくれる親だと認識している。
だから母のような存在である千歳が他の人にとられる感覚には、抗いがたい寂しさを覚えるものの、それを主張できる程、気の強い子でもなかった。

「こーら、遊!邪魔しちゃ駄目だろー!」
ようやく道具が揃ったのか、白刹が遊陽を抱き上げ、太雅に引き渡す。
きゃっきゃと笑っていた遊陽は、真新しい巾着に目を輝かせた。
太雅も、そんな遊陽の様子を見て、かすかな笑みを浮かべる。

ようやく再び独り占めできた唯は、しかしその感情を嗜めるように俯いていた。
「唯嬢」
さらさらと流れるおかっぱの青い髪を結い上げて、何本かの簪と紅い花を挿す。
「ほら、椿の櫛」
できあがり、とおどけて千歳は顔を覗きこむ。
ゆったりとした笑顔を見せて、小さな頬をひと撫でした。
「大人向けの品ですから、ちょっと早いかなって思いましたけれど、よくお似合いです」
鏡を見せると、ほんのり紅潮させた幼い笑顔がそこにあった。

本来的には離れの倭建築の方が着付けに向いているのだが。
子供達は和装に不慣れとは言わないが、本格的なものは、そうそう着付けられた事が無かった。
なので動き難さを考慮した結果、リビングの方が玄関に近いため、洋室での着付けとなっていた。
「大ぱぱ様、お待たせいたしました」
「随分かかったな」
子供達は三人とも白刹から勝手に行動しちゃ駄目だとか、屋台での食べすぎには注意だとか、お小遣いは考えて使えだとか、注意を受けている。
不思議な呼称で呼ばれたセシュウスは、口調とは裏腹に、まんざらでもない様子で子供達を見つめていた。
最初にされた、ぱぱ様の御主人様だから大ぱぱ様なのですよ、との説明に敬いの気持ちを感じ取ったからだろう。
冗談めいた呼び方を黙認している。

「教えてさしあげれば宜しいのに」
主語を取り除き呟く。
「ふん、気紛れで施しただけの事だ。
第一、そんな理由がどこにあるという」
子供達には知らされていないが、新しい小物類は全てセシュウスが買ったものだった。
白刹と千歳も幾らか出すと言ったが、頑として聞こうとしない。
尊大な態度の下に隠された不器用な人となりに、小さく笑みがこぼれた。
「なんだ」
「いいえ、何、も」

その時。
急な眩暈が千歳を襲い、ソファの背もたれ部分に手をつく。
「どうした」
声に珍しく驚きの色をにじませて、セシュウスが立ち上がる。
振り返った先では、既に千歳は床に膝をついて蹲っていた。
「まだ治っていなかったのか、おい・・・」
もう座る事さえ難しいのか、千歳の身体が崩れ落ちる。
声を荒げるも、千歳の視線は虚ろで。

「ちーちゃん!?」
異変に気付いた四人も慌てて駆け寄ってくる。
その声さえも、どこか、とおくのせかいの、できごとのようで。
めまいが、めいかくな、かたちをもち。


いまは、ただ。
ねむたくて。





腕の中の身体は静かに意識を失い、常より重い。
「どういうことだ」
ばたばたと走り寄った白刹が千歳の様子を検分している。
息はある、脈拍も穏やか、顔色が悪いわけでも無いし、怪我も無いように見える。
白刹の態度は落ち着き払っていた。
「ちーちゃんは時々、すげー沢山寝るんだよ。
夢を介してのこ、こうかん・・・?なんだっけ、よく思いだせねーけど、よくあることなんだけど」
「それは知っている」
セシュウスの横槍を受けつつ、その表情は晴れない。

そう、ただ何の前触れも無く、眠りについただけのようにしか見えなかったし、事実それに近いのだろう。
「こんな風に昏倒する事も、よくあるのか」
「無かった」
見守っていた子供達を暖炉の前に集めてから、太雅に指示を出す。
無言で頷いた太雅はチェストから水の入った小瓶を持ってきて、部屋の四隅に置いてあった水晶に一滴ずつかける。
仄かに光りだす、清浄な力で隔離される、結界が起動する。

「必ず準備してたし、俺に伝えないって事はまず無かったんよ。
結界の維持の必要もあったから」
慣れたリビングの空気が、あまり居心地に良いものではなくなる。
いつぞや千歳が用意していた理を強く覆す結界ほど、強力なものではない。
それが部屋と廊下を丸ごと入れ替えてしまうような無茶苦茶なものだとすれば、こちらは扉を閉めただけ。
外からの霊的な干渉を防ぐだけの代物だ。
しかしそれに特化してしまえば、それは純粋で強力な結界となった。
「つまり準備も何もない現段階において、こいつをそのまま放置しておくのは危険と判断したわけか」
「あぁ、こんなこと初めてだ」

隅のヒトツから甲高い音が鳴る。
急ごしらえの代償か、長く使われた結果か、大きなひびが入っていた。
元は友人から贈られた雪片水晶と呼ばれる稀少な代物だったと言っていた。
それを結界に使用する辺りが千歳らしいように思える。

ひびの入った音が引き金となって、遊陽と唯が泣きじゃくりだした。
豊かな気質故か、それとも扉の外の悪意ある何かを感じ取ったのかもしれない。
ひとまず千歳を抱き上げてソファに寝かせる。
遊陽は太雅に任せておけば間違いないだろう・・・太雅も遊陽の事しか目に入っていない。
震える唯をあやしながら、慌てて部屋を出て行った白刹の背を見送った。
ひとまず千歳を運ぶ為に、小結界に必要な注連縄を取りに行ったらしい。
小さく暖かな背を撫でている間に白刹が戻ってきた。
小結界を施した千歳を担ぎ上げる。
運ぶ間際に聞こえた。
もうあの水晶も終わりだな。
そう呟く声は大人びていて、白刹が白刹ではないかのように思えた。



幸せだった。
沢山、幸せだった。
その分、変わりゆく身の内が憎らしくて悲しくて仕方無かった。

そう、想いは変質する。

変質した心臓を止めて水底に沈められたら。
滲み溢れ出す感情に終止符を打って、未だ汚れ無き部分が残る間に埋葬できたら。
魂が強張っていく。
肉が一秒ごとに死んでいく。
唇から零れる水泡の行く先に目を凝らす。
何も、何も・・・無い。

叶わない願いが私を殺すことを痛感した。
痛感、した。




城の地下にはセシュウス用の研究スペースがある。
その一部の書庫には度々、千歳も出入りしていた。
古今東西の神話、伝承、禁呪。
千歳の研究テーマは一貫していた。
死後の世界にまつわる事。

「魂が薄れてる?」
「そうだ」
研究室の一角、仮眠用の寝台に千歳は寝かせられていた。
白い胸元ははだけられ幾つかの鉱石が置かれていた。
明滅する、頼りなく。
「そも人間というのは精神を介し肉体に魂を宿す事で、その生命活動を得る。
怪我、病気、老衰、肉の存続に支障が出れば死ぬ。
ならば魂の存続に支障が出たら、どうなると思う?」
「まさか、死・・・」
「そこまで短絡的な結論には至らない」
薄暗闇の中、はっきりと青ざめた白刹を睨みつけるように見た。
千歳の呼吸は安定している。
日に当たることが無い為、真っ白な肌を、血が通わない為に更に白い指がなぞる。
「が、可能性も無いわけでは無い。
少なくともまともな『在り方』は期待できなくなる、俺のようにな」

セシュウスは死体と蛇を合成したキメラと呼ぶに等しい存在だった。
誰がどういった目的で施術されたのかはセシュウス本人にも知る由が無い。
が、ここにある事に意味と意義を見出し、余生と呼べる今を楽しんでいた。
「こいつの肉体も精神も、異常は無かった。
魂の存在だけが薄れていた。
精神と呼ぶバイパスに欠陥が出来て、魂が薄れるのは理解できる。
だが、そうではない。」
抑揚も無く早口に告げる低い声は、セシュウスの常だった。
しかしまくし立てるような喋り方は、あまりしない。
そもそも必要が無ければ口を開こうともしない。

胸元から喉、顎へとなぞり上げた指先が千歳の唇に辿り着いた。
渇き気味のそこを、そっと開く。
「魂が減少している様子では無い、補充される様子も伺えない。
まるで表と裏がひっくり返ったように、あるべき場所にあるべきものが見受けられない。
その理由は・・・恐らくこいつ自身が知っている」
人差し指と中指に挟んだ爪ほどの大きさの輝石を、慎重に差し入れた。
その状態のまま、セシュウスが口の中だけで何かを唱える。
暫くそうしていれば、胸の上に置かれた鉱石の光りが強まりだす。
一度強まれば沸騰した湯のように、すぐに力強く発光した。
唇の中から輝石を取り出す。
差し入れる前の輝きが偽りだと言わんばかりに、墨のように変色している。
「マナが枯渇しているか、いや、断裂している、のか」
軽く力を加えただけで乾いた粘土質の土のように崩れ落ちた。

「水鏡を用意しろ」
「セシュ、ウス」
「今すぐに死にはしない」
身体の上の鉱石が別のものに取り換えられる。
先ほどより小さいものが殆どだが、その数は増え臓器や間接を重点的に散りばめられていく。
「明日になろうが明後日になろうが、死にはしないだろう。
が、一ヶ月、半年、一年先の保障はできない・・・『何』が『どう』なる前に、肉体が衰弱し、死ぬ」
重くため息をつく。
再び、血の気の薄い唇をなぞる。
「眠りの呪詛なら、キスによる解呪が順当なのだろうな」
しかし自らの推察が希望を裏切る。
そんな単純なものであれば良かった。
あの娘を呼びつけるだけで済むような話であれば。
ばたばたとした足音に、深い苛立ちしか感じなかった。



狂い死ぬのか、と笑われた。
それは、そうあることは一度として無かったのだという証明だった。
怨嗟の声が胸中からあふれ出る。

どうして。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうして。

いくつもの疑問符は、行方の無い自問自答は、渦を作る。
氷解することのない咎を生んだ、それらは全て修羅となった。
心許した分だけ憎んだ。
許しがたい罪状を抱えて心臓から侵蝕する叫び声が、私の中に鬼を生んだ。





研究室に幾重もの魔方陣が浮かぶ。
色の統一も大小の揃いも無く、食器棚の皿のように重ねられたもの、歯車のようにかみ合い回るもの、外の円から中央へ現在進行形で描かれゆくもの、様々だった。
どれも薄暗い研究室では鮮やかに発光している。
セシュウスは魔方陣に触れる事無く、水鏡に浮かぶ幾つもの文様を操作していた。

曰く、在るべきものを司る器官に直接触れるべきではない、らしい。
患者の精神を汚染する可能性も高いが、寝台の青年の場合はこちらが汚染される可能性の方が高いと言う。
感染型の呪術をかけられた場合に備えているのもある。
だがそれよりも危惧すべきは、千歳の血筋にかけられた呪いにあった。

夏山に生れ落ちた存在への。
そして夏山という存在の血肉を大量に摂取したものに・・・人肉を食らったものへの。
他者を食らい続けてきた夏山家、そして、その夏山を食らい、因果の輪廻を繰り返す者への。

「断裂している、は正しい表現だったようだ。
不規則だが確かに魂の所在が所々、途切れている。
失われたその量を現世風に言うのであれば、真半分」
体の上の鉱石の、明滅の差は一目瞭然だった。
どうやらマナの流れを視覚化するための装置らしい、が白刹には真意が読めない。
その表情を察したのか、それとも元々そうなるだろうと予想していたのか、呆れた響きを隠しもせずに説明を続ける。

「元々こいつの魂は五匹の精霊と融合している箇所があった。
一口分、噛み付く程度のものであれ、それが五つ分。
精神へ大いな負担があっただろうが、肉体への影響はほとんど無い程度のものだ。」
机の片隅で籠に盛られていた林檎を取り、鼠がかじったような量をナイフで削り取る。
瑞々しい果肉が顔をのぞかせ、香りだけで甘いと判る果汁が滴った。
「生まれつき複数の魂を持つ者や、途中で魂を分割させる者も決して少なくない。
しかしその者達の魂は生きていることで補充されてゆく。
全てを構築するマナによって、外から、内から。
こいつにはそれがない、だがそれは決して補充されないという意味では無かった」
切り離した果肉を、元の箇所にくっつける。
無論、元通りに修復されることは無い。
だがそこにはシルエットだけなら欠損の無いヒトツの林檎があった。
「こいつが契約し使役する精霊達によって、こいつの魂は預かられている。
こいつが奴らの魂を預かっているように混濁しながら分離している。
決して同化することは無い、しかし決して離れているわけでも無い。」

繋ぎ合わせた林檎の繊維が絡み合うように、それは一見したら強固な口付けにも似ている。
生理的な嫌悪感に白刹の肌がうずく。
奥歯の噛み合わせが悪くなったような錯覚さえ覚えた。
「・・・つまり、どういうことなんだよ」
長々とした独壇場から眠っている千歳に視線を移す。
「元よりこいつの領分が欠けていながらも日常に支障のなかった魂が、そうでは無くなったということだ。
ある時期を境に、こいつの『気』が薄くなったように感じていた。
憶測するなら昨年末」
魔方陣が消失する。
唐突過ぎる暗闇は、光に慣れていた目にとって一寸先をも映すことは無い。
元は鳥の身であった白刹ならば尚更、その闇は深い。
薬品の臭いが強い室内では、淡々としたセシュウスの早口だけが情報の全てだ。
「眠りの術では叶わぬと、何度も忠告した。
魂の置き場所が不安定な癖に、その魂を抱えた精神で持ってして夢遊の世界を渡り歩くなど愚の骨頂。
黄泉の国のものを口にすれば二度と現世へは帰れぬと解っていて尚、こいつはそれを実行した」
声色に変化は無い。
しかしその心は震えていた。
深く静かな怒りと、届かなかった手に、打ち震えていた。
「既にムーンの証言を得ている・・・はっきりした。
こいつの失われた魂の半分は『何か』に差し出した結果、差し出した領分を補充される事も無く、その『何か』により捕らえられ続けている。
そのため現世においての、こいつの魂は真半分を失ったまま残りの魂も、引っ張られ始めてしまった。
馬鹿者が・・・」
押し殺した声が途切れて、部屋の中を沈黙が包み込む。
ようやく慣れてきた白刹の目は、ぼんやり浮かぶセシュウスと千歳の白い肌を呆然と眺めていた。



あの目まぐるしくも輝いていた日々の中。
私は密かに五つの役を作った。

それは全て私が勝つための役ではない。
仕方無いですねぇって言って笑って、私が負けるためだけに存在する役。
勝利条件はたったヒトツ。
そこに導くための役を散りばめた。

気づいて欲しかったの。
直接、訴えかけねば気づいてもらえないなんて、それでは私は不要なのだと告げられたも同然だから。
・・・いいえ、気付かれなければ不要だなんて、そうではないと理解している。
状況も時間も情勢も、それを許しはしない。
しかし納得はしていなかった。

ねぇ、要らないなんて言わないで。
見つめて、解して、そして私の手を取って。
この願いに気付いて。

その希望を持ち続けた、その希望を持ち続けられるタイムリミットが十二月が終わるまで、だった。



誰一人、その役に対抗しうる役を作る事は、出来なかった。




「治、す方法、は」
「契約を解除できれば可能だろう。
だが『何』と契約をしたか、貴様には想像がつくか?
ごっそりと魂のありどころを奪い去った上で、その行き先を感じさせることも無い。
果たしてそれはそもそも精霊なのか?意思を持った代物なのか?意志の通じる余地はあるのか・・・」
すい、と水面を弾けば、消失した魔方陣が新たな魔方陣に書き換えられる。
「そもそも治すとは何を持って定義する。
言っておくが、この症状は元より『契約』という行為自体の弊害であり、いつか訪れることが定まった未来とも言える。」

冷淡な声は情報も憶測も言い切り、その手も止まる。
言い返す術も無く見ていただけの白刹が、拳を震わせた。
「それは・・・じゃあ、諦めるってのか!!!」
力任せに机を叩く。
「ちーちゃんは・・・ちーちゃんは、家族だろ!?
たった五年かもしんねぇけど、ずっと一緒に暮らしてきたじゃねぇか!」
行き場の無い想いの分だけ揺れたのならば、声が出たのなら、白刹の慟哭は十分の一も伝わっていないだろう。
「アンタに出来ないなら・・・俺・・・は、もっと何もできねぇけど。
でも誰か、わかるかもしんねぇから・・・探す。
治して・・・ちーちゃんが、もっかい起きてくれるよう、探して来る、アンタが諦めるってンなら!!」

静寂がその場を支配する。
怒鳴りつける声の余韻も消え去り、汗が伝う音まで聞こえてきそうな緊張。
張り詰めた弓のそれを引いたのは白刹の方だった。
「っ・・・、くそったれが・・・」
どこかで、この男は何でも出来ると思い込んでいた自分に腹を立てながら、白刹は背を向ける。
魔術、呪術の類に詳しい親友らは眠りについて早数年・・・。
自分が頼ることの出来るツテを精一杯、頭の中でめぐらせていると、待てと静かな声が留めた。
振り返ると、先ほどまでの幾重にも展開した魔方陣による荘厳な光景は形を潜め、いまやたったヒトツの円だけが、そこにある。
しかめっ面の男にはまるで似合わない、どこか甘ったるいライラックの色。
「抜本的に治す方法は無い。
だが症状を抑える方法はあるかもしれん」
話は最後まで聞け、と力なく叱り付ける。
日常的に含められる蔑みの色が見られないのは、度重なる繊細な魔法の使用による疲れからだろう。

「抜け落ちた魂を別のもので埋めれば良い。
どうせ元より本人の魂ではないのだ、永続的な効果など期待できん。
媒体となる物質は、何でも構わん。
ただし千歳と相性の良いものを見つけ出す必要がある」
そこまで言い切ると、いよいよ集中力が途切れたのか、椅子に深く身を預け目を瞑った。
「6時間だけ待つ、ありったけの何かを探して来い」
「な、何かって何だよ」
「こいつと所縁の深いものだ。
魂のあり方でも、幼い頃に縁のあったものでも、今の愛用の品でも構わん。
容易に手に入り代用がきくものが理想だが、まずは、見つけねばならん」
それっきり、糸が途切れたように黙りこくってしまった。
耳をすませば寝息のようなものも聞こえる。
それは多分やさしさとは別のものだった。



慶びも悲しみも。
安寧も羅利も。
共にありたかったが、それは叶わぬ道理なのだと思い知った。
寄り添う温かさ、虚しさに、脚がすくんだ。

多分、そうだね。
嬉しく感じたそのやわらかさに突き刺さるものと同じ分量だけの、悲しさを覚えた。
あまりに永く、永く続いたから、それがつまり等分なのだと理解するより他は無かった。
幸福感は、満腹感は、ひどく尊い。
当たり前のように享受をし、過ぎ去っていく日々は全てが唯一無二の代物だと怯えていた。
同時に、そこでは決して満たされることの無い寂しさを、覚えた。

失うことには耐えられた。
親交の深さ浅さには関係なく、それぞれが唯一であるものを、もう何度も失った。
これが最後だと思いながら重ねた時間の分量だけ、身を、心を、ねじ切られるような痛みに襲われた。
でも生きてきた、ここまで。
癒えることなど無いと思っていたぐじゅぐじゅの傷口には、いつの間にか瘡蓋が出来てきて。
その存在を許しがたく何度も何度も指を突っ込んでも、乾いていく、ケロイドになれとねがっても、癒えてしまう。
とめられる筈も無く、時は私にとって傷薬でしかなかった。

だから失うことには耐えられた。

でも気付いてしまった。
一秒を重ねるごとに、本懐を遂げる時は決して訪れないのだと思い知らされた。
叶うよすがの無い願いが心の奥底で産声を上げた瞬間。
時の流れは幾万のナイフに身を変えた。




「鉱石は」
「弱いな、魔力の蓄えとしては十分な媒体だが、生命力となると曰くつきのものでなければ話にならん。
呪術に呪術の上書きになる」
「この着物は」
「身に付けるものは悪くない線だが、そうなると材料から作り出した方が早い。
ユニコーンの尾、不死鳥の羽、鯨のひげ・・・霊獣の神経系、隋を固めた石でも良い、が今すぐの処置にはならん」
「香炉は、ちーちゃんがこっち来る前から愛用してたっていう」
「中に術式を込めた香を置けば使えそうだな、が、それにも準備がいる」
「ってことは煙管も同じようなもんなのか」
「そうなるな、素材に霊的な力の宿るものがあれば良いのだが」

セシュウスが仮眠を取っている間にかき集めた千歳の私物を、二人はヒトツずつ検証していた。
衣類や装飾品の類は増えたが、基本的に物の種類を増やさないせいもあってか。
時間はあっという間に過ぎていく。
ついには鞍や帯、家具にまで手を広げるがそうそう見つかるはずも無かった。
「じゃあ、羽飾り・・・ってのは」
「悪くは無い、が、数に限りがあるだろう」
白刹のため息が部屋を支配する。
「・・・ちーちゃん、今までよく持ってたよな」
二人に諦める気は無くとも、疲弊は確かに蓄積される。
急場しのぎのものさえ見つからず、目の前の身体は一秒ごとに死に近づいていく。
今日、明日にどうにかなるわけではない。
しかしこのままでは再びの目覚めさえ保障されていない。

白刹の一言は、あまりに素朴な疑問だった。
その独り言じみた問いかけに、セシュウスは珍しく黙りこくる。
自分自身の興味さえあれば、他人が聞いていなくとも語り続ける自己完結型の性格をしているというのに。
怪訝に思った白刹が落としていた視線を向けると、そこには仏頂面の中に戸惑いを隠す男がいた。
「旦那?」
「・・・魂のありどころとは、まともなあり方をしていれば日々補充されるものだ」
堰を切ったように独特のマシンガントークが開始される。
「食事を取る、睡眠をとる、湯水に浸かる、土や草木に触れる。
呼吸をするだけでも身体はマナを、マナが生み出す生命の力を取り込む。
対象が生きているものであれば、その要素はその分だけ大きくなる・・・それが力を行使することを覚えた知的生命体であればどうなるか、わかるか」
歯切れの悪さはあるものの、何時もより早口なため、時折どうしても聞き取れない。
「え、えー・・・ってことは、つまり・・・・・・・どゆこと?」
「補充をしたことがあるのだろう、肉か血かはわからぬが。
それが今までを繋いでいたと考えられる」
そこまで言い切り、傍らの文献をぱらぱらとめくる。
口の中で何事かをぶつぶつと呟いていたが、思い立ったように書を閉じた。
「こいつの血と、何か植物を持って来い。
生きているものでなければならん、鉢のもので選べ」
「は?あ、わ、わかった・・・ッ!!」
セシュウスの声に力が灯ったことを感じ取ったのだろう。
つい先ほどまで屋敷中をひっくり返していた疲労も吹き飛んだように、白刹は走り出した。

その足取りには希望があった。



絶望。
望みを絶たれるということ。

幾万のナイフが、断絶されたそれが。
肌を引っ掛ける、血管を裂く、肉をえぐる、神経を絶つ、骨をひしゃげる、臓を貫く。
新しい光景を目にしても、そこには必ず感動とナイフが同居した。
ifの存在への高揚感、未知への尽きぬこと無い好奇、そして叶うはずも無いという確信。

降り積もる。
寂しさが、悲しみが、そこかしこに息をするだけで降り積もる。

積もり積もった先にあるがんじがらめの鎖は、全て自分がこの唇からすすり腹から産み落としたものだった。
罪があるとすれば、それは全て私のもの。
誰のせいにすることも出来ず、さりとて一人で生きてゆくには弱すぎた。
鋭敏すぎた感覚に、心が追いつかなかった。
望みは、孤独の内では叶わない。
せめぎは全て自分の中だけで行われた、対象は言うまでも無くただ一人。


結界用の血液によって小さく簡素な魔方陣が床に描かれる。
召還されたのは千歳の使役獣のヒトツ。
口にしたもの全てを内包、同化させる能力を持つ意思を失った仔竜、青匂師だった。
「青・・・」
「千歳の魂のあり方は、草木のそれによく似ていた。
蔓草の蛇を使役した影響も大きいだろうが、思えばコイツも植物の属性を持つ竜だったな。
ならば相性の良いものは、元より考えるまでも無かった」

千歳の管理する温室から持ち出したのは、真っ白な百合の鉢植え。
眠たそうな青匂師だったが、その芳香に気付いた途端、首を伸ばし花弁を食んだ。
精霊体となった今、青匂師だけではなく使役獣その全てに食事の必要は無い。
だが契約する以前の元々の性質から青匂師は草花を好んで食することが多かった。
仔竜の性質は内包と同化、飲み込んだ武器は腹を介した空間に貯蔵し、食んだ草花は夏山千歳の身体に香りが移される。
今まではそれだけの存在だった。

「同化とは、コイツが口にしたもの同士の同化ではない。
コイツが口にしたものが、他の使役獣に共有を・・・そして千歳には同化される。
蔓草に仕込んでいるものは、あくまで共有しているだけのものだ」
千歳の上方には再び光によって描かれた魔方陣が展開されている。
青匂師が花を口にするごとに、小さな術式が増えて、大きな陣に融合させられる。
視覚で認識する欠けていた『何か』が埋まる。
「それはコイツの存在があって初めて成立する。
千歳が契約部位とする右耳を失えば契約は解かれ、恐らく千歳や使役獣の身体を武器が貫き生えるだろうな。
それが共有だ、ならば同化とは何だ?
二度と離れ元の物質に戻ること無く、そして消費されてゆくだけのものだ。
それはまさしく」
人間の行う食事そのものよりも効率が良い。
そう告げたセシュウスの頬は、血が通っていればさぞや興奮により赤く染まっただろう。
自分の立てた理論が立証されていく快感に、どっぷりと浸っていた。

「あー・・・えー・・・うん、そんで・・・」
「相変わらず愚鈍だな貴様は。
千歳自身と相性の良い草花の、丸っきりの生命力そのものを青を介して抽出し、欠けた魂の補充に宛がうのだ。
人間自身が命を絶ったものを食し、生命力の補充を行うよりも早く、純度が高い」
「ち、ちーちゃんが助かるってことか!!?」
「愚鈍だな」
セシュウスの挨拶代わりの罵倒が、様態の回復を何よりも示していた。
「良かった、ちーちゃん、良かった・・・!!
旦那、あんた実はすげーんだなぁ!」
常日頃は言い負かされるだけと知りながらも罵声には罵声で返す白刹だが、今ばかりはその減らず口が喜ばしかった。

二人の男の騒ぎを尻目に、青匂師はもくもくと花をむさぼり続けた。
千歳の唇が、小さく震えた。



裂く、裂いてゆく、否定をすることは楽だった。
拒絶することにも何の労もいらなかった。
そうじゃない、そうあって何が解決するというのか。
訴える理性のありどころもがりがりと削り取っていった、なにひとつ残らず。
残らない、残さない、残せない。
悲しかった、寂しかった、誰かに手を差し伸べて欲しかった。
その全てを振り払って生きてきたのに、今更、いや、永年、心臓から背骨まで平たく切り裂くように渇望していた。
この胸に広がる飢え乾いた砂漠に、誰か、だれか水をください。
からからの砂が風にふかれてどこかへと消え去っていってしまう。


ひび、かんじょうが、なくなっていった。


忘れたくないのと泣き叫ぶ裏で、シナプスが断裂する。
言葉から意義が消失し、意味の存在を消滅させる。

あー、あー、あー。

笑顔の裏でずくずくと痛む頭を抑えて蹲る。
赤ん坊の泣き声に、臥所で鳴く女の声に似た。

アー、アー、アー。

風に溶けそうな、風を切り裂く、私の慟哭。


叶わぬ願いに身を焦がした。
満たされぬ愛により狂気に陥った。
その全てが、貪欲なる夏山千歳の業が生み出した、私の罪。





自罰。






ひときわ鋭い絶叫が鳴り響いて。
ぶつりと、何か大きなものが、断裂した。






夏山千歳が昏倒し、再び目が覚めたのはきっかり三日後だった。
まず何よりも自分のせいで台無しになってしまった参拝のことを、沈痛の面持ちで謝罪した。
涙交じりの声で馬鹿と叫ばれて、子供達やムーンに飛びつかれ、その上から白刹に抱きしめられた。
罵倒には饒舌なセシュウスでさえ「優先順位を見誤るな」と言葉少なく叱られた。
あたたかな家族の肖像が、そこにあった。

目覚めてから数日。
失った栄養を点滴だけでなく食事として取れば、すぐに身体は元気になった。
一週間もしない内に、改めて全員での参拝を行った。
以前みたいに外にも出られるようになって、親しくなったばかりの少女と中庭や離れの縁側で喋っている姿もよく見受けられるようになっ

ハルベルトを始めると言い出して一ヶ月ほどで、チームは結成された。
視線が白刹の参加を求めていたが、口に出す前に「もし誰も集まらなかったらな」と笑いかけた。
それまで頑なに団体への所属を避けていた千歳が、チームを作るのだと。
単純に未知の領域で遊んでみたかったのがヒトツ。
心身を蝕む寂しさ、所在の無さに素直になって、誰もが対等であれる居場所を求めたのがヒトツ。
「もう一度、原点に立ち返って自らの欲望の形と向き合ってみたいのです」
恥ずかしそうに告げていたのも、ヒトツ。

変わらぬ日常生活を送るために、千歳は常に草花を身に付けるようになった。
生花そのものであるかと思えば、時には蔓草の隙間から生え出た同化のものもあった。
青匂師は以前より頻繁に草花を食するようになり、ムーンの日課に朝一番に花を摘むことが加えられた。
霊獣や神獣の血肉を食するのが何よりもの特効薬だったが、それはどう考えても頻繁に使えぬから奥の手にしようと三人で決めた。

夏山千歳は、少し幼くなった。

喋り口調が以前よりも明らかに子供っぽくなった。
理屈で丁寧に説明していたものを、そうしない事が多少増えた。
好々爺じみた笑顔には、いとけないものが混じるようになった。
人との接触を好む性質だったが、それに対して躊躇する事が減った。
発音がたどたどしくなると、恥ずかしそうに袖で顔を隠した。
彼の中の矜持と呼ぶにふさわしいものが壊れきった結果、周囲に対して以前よりも素直になった。

白刹はそんな千歳の様子を、目を細めて見守る。
千歳の中でどんな変革があったのか、白刹にはわからない。
どうして得体の知れない巨大なものと『契約』を交わしたのか、どうしてその必要があったのか、どういう心決まりだったのか。
それでも寝覚めて涙を零した、千歳の魂のあり方・・・変わらぬ心のあり方に白刹は安堵した。
ちーちゃんは家族だからよ。
それだけが理由の全てであり、そこに至るまで積み重ねられたものが、その全ての正体だった。

それでも千歳はよく眠る。
花の供給だけでは追いつかないと自覚している時、自ら暗闇の世界へ意識を落とす。
その髪を撫でる幼子のもみじ。
「ゆーい、ほら、風邪ひくぞー?」
障子が開け放たれたまま、布団も敷かずに眠りこける千歳の傍らには、静かに座る唯の姿。
唯自身は知らないが、かつてこの少女を千歳の養女にするという話もあった。
兄や姉の存在に負い目を感じているようにも見えていたから。
千歳が大陸を離れる時、夏山の実家に連れて行くのも道のヒトツだと、ほぼ決まりかけた話だった。
「白刹様・・・大丈夫、です」
「ほっぺ真っ赤じゃんよー、うりうり」
「きゃっ、ふふ」
持参した二枚の毛布の内、一枚を千歳にかけてから、もう一枚で唯を包むように後ろから抱きしめる。
睡眠とは違う『昏倒』に陥った千歳はそうそう目が覚めないと二人とも知っていたので、その声は潜められながらも遠慮は薄かった。

むしろ二人とも一刻も早く起きて欲しい、と願っている。
縁側から差し込まれる鈍色の光、モノクロームな世界を彩る椿の緑赤、春の訪れを予感させる木々の芽吹き、冷たい風、しかし身を縮込ませる暴力的なものではなくて、厳しくて清々しい。
季節の変動を、共に見つめていたかった。

「じゃー、お茶淹れてくっからさ、唯と俺とちーちゃんの分。
おやつも、こっそり持ってきちったから、怒られっかもしんないけど、三人でおやつにしようぜ?」
背中にあたる父親代わりの人の体温と、指先にともる母親代わりの人の髪の感触。
目を瞑る、その気持ち良さ。
千歳様にも知って欲しいと思った。
彼の眠りの最中も、こんな染み渡る幸福に包まれていれば良いと思った。
愛する景色に囲まれて、愛する人の腕の中で、寂しいことなんで何一つない世界。
大人は皆、それこそが一番贅沢で難しい願いだと知っているから、諦めてしまうけれど。


祈った、彼に優しい花の眠りが訪れますように、と。


もうすぐ春が訪れる。
だから寒くても、障子を閉められないでいる。




(了)
posted by 夏山千歳 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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