2012年01月22日

マナ 完全版

■共通諸注意
この物語は千歳本筋RPです
本筋RPは全体の流れとして非人道的(具体的には近親間の婚姻、カニバリズム等)な描写、設定が含まれる場合があります(アップする際に冒頭注意として上げていきます)
背後様が在学中の方はご遠慮願います
性描写はありません
道徳の分別、現実と創作の区別のつく方、上記の非人道的描写をエンターテイメントと割り切れる方のみ、御覧になってください

尚、作品中のゲストキャラクター様には、既に確認と了解を得てアップしている事を明記しておきます


千歳本筋RP 第二部:壱話
2011年9月1日筆


..

眠りから死への境界は曖昧だ。
たっぷりと黒く淀んだ世界に落ちてゆく。

古来から尋常ならざる覚醒は神霊の儀において重要な役割を占めてきた。
憑依のためのよりしろとして自我を奉じる。
一方で深い眠りもまた、その神秘性から同等の役割を担ってきた。
殻になった肉体こそが御魂と現世を繋ぐ数少ない方法だと、深く信じられてきた。

ならば肉体から放り出された魂は何処へゆくのだろう。

器に宿った神の御手に抱かれるのか。
おさまる先もなく森羅万象に委ねるのか。

どちらも、それは通常の生ではありえぬ事。
神に内包されようとも、自由の身となろうとも。どちらにせよ肉体と精神の分離した状態では『私』は『私』とは呼びがたい。
生存を司る肉体、人格を司る精神、存在を司る魂。
その全てが揃って初めて個は成立するのであれば、欠けた存在は個に遠く、それは死により近い現象ではないだろうか。

ならば、そここそが生と死の境界線上にあり、その果てに待つのは扉無き扉だと推測した。



青年はゆっくりと落下してゆく。
何度も体験した鮮やかな一面の黒。
そこは青年にとってひどく慣れ親んだ世界だ。

青年が望めば、使役する幾つもの魂が実体として姿を現す。
しかし使役とは魂の一部を混ぜる行為でしかない。
私は彼方、彼方は私。
そこには孤独しかない。

構築した理論に従うなら孤独であってはならなかった、孤独にならねばならなかった。
肉体と分離するためには、何かを召喚し憑依する必要性がある。
しかし青年は既に取り憑かれていた。
幾つもの精霊や霊獣と契約を交わし、常にその身に従えていた。
つまり青年は常日頃から曖昧な境界線にいると言える。
そういった意味で、ここは慣れ親しんだ世界だった。
慣れきった曖昧は青年を導かない。
この黒の先にあるものから一歩進む為には、集合体であってはならなかった。

黒に幾つもの影が生まれる。
それらは全てが青年の一端であり、青年自身だった。
歪な骨格の獣が背を向ける。
金飾りの獏、寸断された蛇が天の光に還っていく。
花の仔竜が胸をすり抜ける。
巨躯の虎が駆けて行く。
彼らは魂の束縛から解き放たれる。
精霊にこの身の全てを譲り渡した瞬間、彼らは個になる。

青年は孤独になる。

深く落ちるほど身体が凍てつく。
あの冬の日の禊のように。
しかし今度はいくら目を凝らしても、どこにも助けは無かった。
水面の光は音も無く遠ざかっていった。
全身に伝播し蝕む心臓の痛み。
これが一人になるという事だと、強く実感する。

次第に黒が黒ではなくなる。
濃い濃紺が混じりだしたと思えば、あっという間に紫紺に変わる。
紫へ、緑へ、朱へ。
一面が強い夕方の日差しに包まれる。
澄んだ空気がオレンジ色をよりいっそう鮮やかにした。
落ちゆく先を見上げる。
次第に白む空間は、確かに空だった。

「なん、で・・・!!」
それまで室内で寛ぐように穏やかだった青年の身体を、突風が打ち付けた。
服が空気をはらみ髪が乱れる。
風が現出する。
「あッ」
反射的に両腕で顔を守る。
頭の中で強く警鐘が鳴る、心臓がひどく暴れだした。
ここは。

『そう、ここは、あなたの望む場所ではない』

突如、柔らかなハスキーボイスが耳朶を撫でる。
いつの間にか目前には女がいた。

「ど・・・なた・・・、・・」
それまで頭を地面に向けた落下だったが、空気の抵抗を受けて身体が浮き上がる。
反して女は全くの平坦だった。
中つ国風の翡翠色の法衣を纏い、衣装と揃いの大きな帽子を被っている。
帽子からは絹で編まれた糸の束が垂れていたが、その表情を覆い隠すには不十分だった。
途切れる事の無いアルカイック・スマイルと長い髪が目を引く。
少し癖のある緑がかった硬質。
仄かに金木犀の薫りがする。
積み重ね上げた結果、常人にも感じ取れるようになった夏山の血肉の証。

「貴女、は」
『呪が欲しいの?
法衣の女とでも、金木犀の女とでも、翡翠の女とでも。
如何様にも呼んでいただいて構わないのよ』
声色を裏切るように笑い方は鈴を転がすようだった。
「そんな呼び方」
あまりに濃厚な示唆に、嫌でも青年は気付く。
「だって、貴女は、もしかして、もしかしなくとも」
がむしゃらに手を伸ばす。
「私と同じ血を持つ者ではありませんか・・ッ」
目の前の女は冷たく笑った。

『そもさん』
絹糸の向こうから頑なな瞳が差し向けられる。
青年は、その眼差しへ縋るように視線を返す。
渇いた喉から切望をひりだす。
「私の先代様の内の一人では、ございませんか」
空が明けてゆく。
均衡を崩したのは女の微笑みだった。
『それがあなたの答えね』
声色に含まれていた嘆息は青年によく似ている。
柔らかな拒絶に青年は二の句が告げられなかった。
しかしそこに悪意は無い。
『私に呪が必要ならば、あなたは私を飛翔と呼ぶべきだわ』
「飛翔・・・殿」
慣れない単語を確かめるように口の中で響かせる。
絹糸が揺れる。
間から覗いた瞳は、何もかもを許容する柔らかなオリーブ色だった。


目を焼く、鮮烈の閃光。


「あれ、は」
白んだ朝焼けを抜けた先には澄んだ空色が広がる。
目下には・・・恐らくリリデールにあるものよりも遥かに巨大な・・・一都市では収まり切らない程の大樹があった。
建造物はおろか大地さえ見当たらない。
白波の無い水平線が彼方まで続く。
大樹は誰に憚ることも無くのびやかに枝葉を広げている。
「・・・飛翔殿、ここは一体、何なのでしょうか」
うねるような風は次第に落ち着いていった。
それに伴って落下の速度も緩やかなものに戻ってゆく。
青年自身の身体も急に軽いものへと変化したような気がした。

『何処と問わないのね、勘が良いわ』
実在と非実在を繰り返すのは錯覚では無かった。
恐らく、その考察は正しい。
今、現在の青年は非実在だった。
そして目の前の女は非実在のままだった。
『ここは何時でも無く、何処でも無い。
あなたの生きる世界を隅々まで歩いても、時間を遡り泳いでも、辿りつけはしない』
そう。
夢の延長線にある黄泉の扉を開いたつもりだったが、明らかにここは別物だ。
一般的に想像される冥界のイメージとは違う、からではない。

青年は、実在と非実在を繰り返す。
しかし目の前の・・・夏山家の先代の一人と思われる女は、非実在のままだった。
夏山家の直系は夏山千歳を除いて全てが死去している。
だから、この世界での実在の意味とは。
『ここは数多あるマナの本流のヒトツ。
ここに生命は産まれない、ここに還るのは彷徨うものだけ。
ここは無の極地よ』
生命の有無だ。

マナ。
それは真名に等しく、生命に等しく、愛に等しい。

「マナは現世も彼世も問わず存在するもの全てに宿る・・・」
『それが夏山家に古くから伝わる持論であり私はそれを肯定的に捕らえている。
マナの有無と生命の有無は等しく在らず、しかし同時に生死に深く関わっている事も確かだ・・・。
あなたがいつか書いた手紙ね』
長い裾に包まれた手が青年の頬を包む。
布地越しにあっても、その手指はほっそりとしている事が判った。
『そう、マナとは私達そのものと言っても相違無いわ』

肉体と生命と精神。
この三つの要素で生物は構成されている。
ヒトツの生命の基盤である魂。
魂の入れ物でもあり、個という要素を生み出す肉体。
その二つをつなげるものが精神だとしたら、人の中で一番重要なマナとは精神ではないだろうか。

「そしてそれは生命を保証するものではない」
『そうね、それが私達、夏山の持論よ』
「先程から私のみが不安定なのは、マナによって現世に魂が呼び寄せられているから・・・?」
『その理屈でいくと、ここが何処であるかなんて問題にならないのだけれどね。
少なくとも私に肉体の器は、もう無いわ』
思い出す。
精神を失えば、肉体と生命は分離する。
生命の無い肉体は活動する事も叶わず、肉体の無い生命は酷く不安定な存在となる。
そう記したのは誰でもない青年自身だった。
『夏山千歳、あなたは行き先を間違えたのよ。
そしてこれから先も、この方法で辿り着ける事はないわ』
青年は顔色を変える。

『しかし、あなたは此処に至る事で知ることを許された』
なるべく安全な方法で解決に当たれたら。
祈りにも似た願いを持って青年は夢に潜み続けてきた。
まことの死を迎えるには、残すものが大きすぎる。
いつか迎える別れだと理解していても、それは何の予告もなく突然やってくるともだと痛感していても。
意図的に手放す事は、残すものの痛みを思えばできなかった。

深い深い大樹の茂みの中央。
もう目前まで迫っていた緑の群れは、なんの関にもならずにすり抜けた。
青々しく茂り、重なり合う木の葉。
目に見える範囲に枯れているものは一枚として存在しない。
幹は雄々しく瑞々しいまま、ひび割れていた。
死を知らぬ大樹が息づくその光景は、背筋が凍りつくような違和感を訴える。
ここに生命は産まれない。

『教えてあげましょう、有象無象の真実ではなく、ただそこにある事実を』

何ヒトツとして女と青年の身体に触れる事は無かった。
落ちる、吸い込まれる、重なり合った幾多の幹が絡まる、その心臓部へ。
『夏山千歳、あなたは、どうすれば夏山が呪縛から開放されると思う?』
「・・・血を薄める事によって、ゆくゆくは夏山という特性を無くし、生きる術を得られるのではないかと考えました」
そう。
今までは夏山という血肉を頼り続けた。
しかしこれからは何代もかけて血を薄めながら他の方法を得る事による安定性を目指そうと思った。
呪いと特性が色濃く出る本家のものでは難しくとも、そのどちらもが薄い分家のものならば為せるのではないかと。
『確かに薄れるでしょうね、夏山の血は』
視界が闇に覆われる。
もう枝葉に包まれているのか、絡まりあう木々の間にいるのか、幹の内にあるのか、判別はつかなかった。

『それでどうして赦されるというの?』
そこに色は無い。
『夏山の血が薄くなったからと言って、そこに夏山は存在するのに、どうして恨まずにいられるの?』
そこは暗い。
『彼らを直視しない限り、夏山の血を持つ者は、永遠に赦される事は無い』
そこは冷たい。

反論など何一つできなかった。
言葉にならなかった。
女の一言一言が胸に突き刺さる。
『弔うことでしか業は特赦されないの』
ここは、暗く冷たく悲しい。

視界が開ける。
広い、広い、エージュのダンスホールを彷彿とさせる空間だった。
城の見張り台から見下ろしたような高さにあって、初めて全貌が見渡せる。
床は清水に覆われていて、その深度は計り知れない。
手を伸ばし繋ぎ合った樹木で出来た壁はなだらかで歪な円錐。
よく見れば壁の一点に針穴のような光が射しこむ入口が見えた。
恐らく近づいてみれば、城門に引けをとらない大きさだと予想される。
道があった。
水面に浮かぶ大樹の根。
その連なりの先には、絡み合った根によって中央が台座のように盛り上がっていた。
その空間は入口以外から光は射さず、しかし蛍のような灯りがある。
灯りは
台座から生まれていた。
か細い鈴の音がした。

『さぁ、教えてあげるわ、ただそこにある事実を』

女と青年が下降するごとに幾つもの新しい事実が浮かび上がる。
台座には磔台があった。
いや、あれは磔台では無い。
数多の武具が刺さっていた。
剣、槍、矛、斧、杖、棍、弓矢、ボウガン、銃、盾、書。
古今東西を問わず、錆付き、破れ、折れた武具の数々が寄り集まり、まるで一本の柱のように突き刺さっていた。
その中の幾つかに見覚えがあった。
あれは、いつか失った剣。
あれは、折れたはずの槍。
あれは、この手にある筈の長斧。
あれは。
「・・・な、んですか、これ・・・・・」
人影があった。
朽ち果てた武具の磔台に、同じような武具によって、その手足を、しなやかな身体を、打ち付けられていた。
壁から伸びる何本もの枝によって、囚われ繋がれていた。
「飛翔、殿」
その人物は、その場にある武具と比較すれば、並の人間より高い背丈だと容易に知れた。
「飛翔殿、なんですか、これ」
その肌は暗闇の中にあって雪のよう、しかし黄色人種の白だった。
その髪は緑がかった黒と呼ぶにはあでやかなまま、肩を越えて伸びていた。
その瞳は鮮やかなグリーンの光に反して、虚ろに開いたまま湖面を見つめていた。
「飛翔殿・・・飛翔殿!」
その人物は南東和風の白い衣、黒の下穿きを身に着けていた。
「飛翔殿・・っ!」
その人物の左頬には耳に繋がる大きな傷跡があった。

『夏山千歳。
これが、あなたの選んだ弔いよ』
「嘘だッ!!!」
青年の切望にも似た絶叫を、女はいなす。

列があった。
入口からその人影の元に続く、黒い列。
形を持たぬ彼らは、その手に小さな芽を持っていた。
静かな行列は人影に辿り着いたとき、その足元に芽を置いた。
芽は青年の足元で根付き、枝を伸ばし、花を咲かせ、葉を茂らせ、人影に絡みつき、人影を貫く。
その様を心行くまで見届けると消滅し、次の待ち人が芽を捧げた。
「ァ、・・・」
人影は時折、小さく声をあげた。
搾り出すような声色には苦渋が色濃かったが、甘い色めきもあった。
風に溶けるような高いテノールの。

「嘘だ・・・嘘だ、嘘だ、嘘だ!!
何故、千歳が、ああならねばならないのですか!
あなたの話がまことだとしても、私は代をかけて償う準備を進めております!
私一人の自己犠牲に誰が喜ぶ、誰が望んだ!!」

誰一人として聞いた事が無い叫び声。
どんなに敵意を持とうとも冷静さを忘れようとしない青年が、こんなにも激昂したのは生まれて初めてだった。
青年は周囲の人にこそ自らの存在意義を持たせようとする。
頑なな自我とは対照的なまでの依存を、しかしそれでも青年は厭ってはいなかった。
誰かのためになるのなら、と思える自らに誇りを持った事もあった。
動機はどうであれ人に優しくできる自らは好きだったとも・・・言える。
それを否定されたも同然だった。

女は顔色ヒトツ変えようとしない。
『姿を変える真実に意味は無いわ』
青年は今にも掴みかからんばかりに睨みつける。
『あれは確かに夏山千歳、あなたの死後の魂ね』
「死・・・」
荒げた喉が痛むのか、強いショックに息苦しさを覚えるのか。
縋るように首に手をやる。
同じ顔をした・・・いや、違う。
よく見れば今の青年よりも、その人影は幾つか年嵩に見えた。
『あれはね、永劫に続く夏山の業をヒトツの魂で背負った結果。
最初は一本の枝葉だったものが、積み重なっていったもの』
体格に変化は薄いが、確かに髪が少し伸びていた。
顔立ちも同様に変わりないが、今の自分よりは幾らかしっくりくる説得力がある。
若い頃から老け顔であり、次第に加齢を感じさせない顔立ちになったが。
歳を重ねることにより外面と内面が合致したのだろう。
それでもひどく慣れ親しんだ顔だった。
『枝葉は、業は、何時か時と共に磨耗し許される。
それが一本の枝葉なら問題は無いのだけれどね。
積み重なったものは果てしなく、夏山の血筋が続く限り、増え続ける』
喉のひりひりとした痺れは、青年の生を証明した。
そして表情を判別できる程に近づいた人影は、基本的には無反応のようだった。
時折、ほんの時折、その身を苛み続ける悪意に表情を変える。
渇ききった涙と官能の入り混じった陶酔に。
『この大樹は全て彼が受け入れた罰。
この大樹の最後の枝葉が枯れるまで、彼が解放されることは無い』
女の言葉を信じれば、あの人影に最早、生は無い。
あの反応は生を証明しない筈・・・なのに。
「どう、して」
『さぁ、知らないわ』
どうして、あんな陶酔を得ているのだ、彼は。

『あれは輪廻転生を阻まれ続けている。
しかし確かにその選択を取ったのはあなたなのよ。
内包された真実を知るのは、あなたしか居ないから、ここに真実は存在しない。
だからこれが、あなたの至った未来であり、あなたの至った事実』
突き放す女の言葉は淡々としていた。
強い虚無感が心臓の内側からあふれ出す。
青年に実体があれば、膝を突いて座り込んでいただろう。
眼下の顔を見据える。
濁り乾いた瞳は亡羊としていながら、どこか満足気に緩んでいる。
半開きの唇は感情を作る事は無かったが、思い出したように小さく鳴く。
左耳元に髪飾りは無かった。
すっかり伸びた髪の隙間から、ひきつれた傷跡が見えた。

『・・・覚えておきなさい、罪を赦される為には弔うしかないのだと』
未だ呆然としたままの青年を叱咤するように声が掛けられる。
『もう夢に頼る方法は止しなさい。
幾多の精霊を身に宿すあなたは既に生死が曖昧な存在なのよ。
ともすれば此方側に引っ張られかねないわ』
「曖昧ならば・・・余計に、この方法が得策ではございませんか・・?」
青年の声が諦めにも似た冷静さを取り戻す。
女は首を横に振った。
『少なくとも、方法を伝えねばならないでしょう。
まことの一人にあって、あなたの帰還以外にどうして解呪の術を伝えられるの』
なによりも、と続ける。
『あなたは許す事によって赦されるという事を知らなければならない。
かつて全ての財産を、友人を、記憶を失った鳥のように』
ゆるゆると見上げる。
女の瞳は絹糸越しであっても確かに毅然としていた。
強い意志を持つ人格は、どうしてこうも美しいのだろう。
翡翠は、その硬度自体は輝石の中では低い部類に属する。
しかし内部に針状の小さな結晶が複雑に絡み合い、全ての鉱物の中で最も割れ難いのだと聞いた。
脆い心を抱えながら、したたかに生きてゆく。
目の前の女は、そういった人生を歩んできたのだろうか。
知りたくなった、彼女が美しくあれる理由を。

『あの鳥は、もう一度、あなたの元に帰ってくる。
あなたの助けとなる為に、必ず、帰って、くる』
帰ってくる。
訪れるでも戻ってくるでも無い。
あの鳥も美しい魂を得られたのだろうか。
脆く傷つきやすい繊細な心のために死に、たった一度の恋を想って鳥の心は甦った。
凄絶な人生だった。
『あの鳥は強い』
琥珀のように傷つきやすく、しかし抱合する何か。
『今はそれを待ちなさい。
それはきっと遠くない未来だから』

この人も、たった一度の恋に死んで、甦ったのかな。

小さな疑問は青年に緩やかなまどろみを運ぶ。
霞がかる視界に、この世界の終わりを知る。
力の抜けた身体を小さな身体が支え、抱きしめた。
白い頬が胸に当てられる。
厚い布越しだからか、鼓動は感じなかった。
『今は、あなたはあなたの生を駆け抜けなさい。
それからで十分。
ここも確かにあなたの愛する果てになるけれど、今のあなたには今でしか過ごせない場所がある』
「あなた・・・は・・・」
すれ違いざまに磔台の罪人と目が合ったような気がした。
着水する。
巻き込んだ大気と、体内にあった空気が混ざりながら、大小の泡が逃げていった。
いつの間にか実在を得ていた、らしい。
『言ったでしょう、ここに還るのは彷徨うものだけだって』
女は笑う。
それは彼女が浮かべ続けたものではなく、初めて彩られた笑みだった。
『覚えておきなさい、あなたには地を踏み締める両足があるのだから』
ここは、暗く、冷たい。
しかしどこか満たされた心地で見送る。



意識を、手放した。


「ちーちゃん、ちーちゃん、ちーちゃん!!」

けたたましい声が青年の意識を現世へとやる。
寝覚めは不快なものだった。
鈍痛にも似た頭の重みが、等分されて尚増すように身体の重みになっていた。
からからの喉に反して、シーツだけでなく青年自身もぐっしょり濡れていた。
頭から水を被ったようだった。
指ヒトツ動かすのも気だるいと思ったが、そうでは無い。
動く様子も見せなかった。
「ぱ、・・・・さま・・・・・・」
「ちーちゃん、良かった・・・ッ!」
かすれた低い声に、呼び声が止まる。
明瞭さを取り戻そうとしない視界の代わりに、羽虫が起動する。
瞼の裏に視界とは違う光景が映る。

そこは入眠した時となんら変わりない青年の自室だった。
窓から強く長い日差しが入り込んでいる、夕方と呼ぶにはまだ少し早い時間らしい。
部屋には城主の少年しかいないようだった。
扉の向こうに気配は感じない。
子供達や機械人形の居場所を探ろうかと思ったが、強い痛みに遮られる。
息をするより慣れている筈の知覚が上手く作動しなかった。
歯車の噛み合わせが悪くなったようだ。
強い恐怖を覚える。
「ほら、水飲みな、おかわりも沢山あっから」
身体を抱き起こされ、唇に冷たいものが当てられる。
ゆっくりと傾けられたそれは口内をじんわり湿らせた。
ひどく甘く感じた。

「何やってんだよ。
実験するって聞いてたけど、様子見にきたら死にかけてんじゃん!」
「死・・・?」
何度も水を飲まされ、ようやく意識がはっきりする。
壁に背を預けたまま少年の話を聞けば、不可解な単語が出てくる。
脱水を起こしていたのは解っていたが、そこまで酷い症状だったのだろうか。
「ムーンと唯がえらく騒ぐから何事かと思ったら、息も殆どしてないし脈も止まりかけてたんだよ」
青年は睡眠を介する実験をする際には、必ずこの少年に事前報告をしていた。
下手をすれば三日以上・・・特に長引けば一週間程は、眠り込んだまま目を覚まさなくなる。
その間の身辺の世話を機械人形や城主に任せきりになる、のが理由としては一点。
もう一点は、夢魔や魑魅魍魎の類から身を護る為に外からも結界を維持してもらう必要があった。
眠っている間に子供達がお見舞い感覚でやってくる事も少なくないらしい。
特に唯は、落ち着かない様子で一日中、傍に居る事も多いと聞く。
上の双子に関しては、より精霊に近い存在であるためか、この眠りの意味を本能的に理解しているらしくあまり心配はされなかった。

「二人は?」
「太と遊に預けてる。
着替えたら顔見せてやんなよ、どうせ離れに行くんだろ?」
「そう、ですね・・・この部屋には暫く近寄れませんし、ね」
あまりに長く実験を続けた場所は、青年に引っ張られて境界が曖昧になる。
普通に過ごすだけでも霊媒体質の青年には厄介事が多いため、城全体に強い結界を張っていると言うのに。
それさえも効かない程に磁場を狂わせる。
しかし何日かかけて浄化を続ければ、次第にマナの流れも落ち着き元のように過ごす事ができた。
この特性からか、青年は離れと自室の二箇所を点々としながら過ごす癖があり。
少年や城の住人達にも深い理解を得られていた。

「お手数おかけして申し訳ございませんでした、直ぐに移る準備を致しますね」
「いいよいいよ、荷物くらいは俺が運んでやっから、ちーちゃんは早く向こうでゆっくりしな」
水のような汗を拭って、新しい浴衣を身につけた。
ふらつく足元を支えられながら虎に身を任せる。
横向きに座り、もたれかかるようにして硬い毛に顔を埋めた。
「ぱぱ様、いつも、ありがとう」
そのまま笑いかけた時、かたん、と床から硬質の音が響く。
反射的に視線をやった先を察して少年が拾ってくれた。
それは青年がいつも携帯している、心臓の印象を模した青い硝子細工。

一瞬だけ、少年が戸惑ったような顔を見せる。
しかしすぐに力強い笑顔になって、青年に手渡した。
「大事なモンなんだから大切にしろよ」
「ふふ、はい」
青白い指先がそれを受け取る。

ちゃぷん。

想像以上の重みに、青年の表情が硬くなる。
少年もそれを察しているのだろうが、あえて話題を振るような真似はしなかった。
青年は気付いていた、気付いてしまった。
確かに自らは死出の淵に立っていたのだと。
何故、自らの身体にまで異変が起きたのか。
精霊達に守らせていた、その中には治癒のエキスパートもいた。
外的要因、内的要因において可能性は限りなく削除していた、が。


あの時、青年は確かに、この魂を失っていた。


手元にある筈の無いこれが証明している。
液体状のマナの高密度集合体。
最後に沈んだ湖そのものが、硝子細工の中に収められていた。
あれは夢の中の話であった筈だ。
筈だった。
確かに自分は、死んでいた。

「・・・さぁ、ゆきますよ、東征」
虎がゆっくりと歩き出す。
何事も無い毎日を模倣する為に。


まだ、この大地の上で明日を続けねばならないのだと、硝子細工が雄弁に語りかけていた。




ED zektbach
『Blind Justice』
posted by 夏山千歳 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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