2012年01月21日

禊 完全版

■共通諸注意
この物語は千歳本筋RPです
本筋RPは全体の流れとして非人道的(具体的には近親間の婚姻、カニバリズム等)な描写、設定が含まれる場合があります(アップする際に冒頭注意として上げていきます)
背後様が在学中の方はご遠慮願います
性描写はありません
道徳の分別、現実と創作の区別のつく方、上記の非人道的描写をエンターテイメントと割り切れる方のみ、御覧になってください

尚、作品中のゲストキャラクター様には、既に確認と了解を得てアップしている事を明記しておきます


千歳本筋RP 第二部:オープニング
2011年1月21日筆

若干のホラー、グロテスク描写があります
御注意ください


..

澄んだ冬の空にいざよいが笑う。
彼はずっと見ていた、彼は何も想ってやいなかった、彼はただそこにあるだけだった。
しかし見上げる人々は、その姿に一縷の望みを託し続けた。

彼は光だ。



冬の風は容赦を知らない。
ただあるがままに吹き荒び、何もかもを凍らせる。
そこに分け隔ては無い。
白い襦袢のみを見につけた青年も、また。

そこは三年ぶりの場所だった。
かつて押し殺した感情に耐え切れず、この場で禊を行ったことがあった。
自傷行為と何ら変わらないように見えただろう。
しかし、それは青年にとって大きな意味と意義のある事だった。
青年は誇りを知った。

「東征将」
歩き出す。
枯れ草を踏む素足は既に氷のように張り詰めていた。
しかし一歩、一歩、恐れながら歩みを止めない。
「まずは貴方が駆けます」
湖面は何処までも黒く、点々とした白を映し出す。
さざなみはそれらを殺す。
足を差し出した。

痛覚を飛び越えて、いっそ温かみを感じた。
本能が泣き叫ぶ。
やめてやめてやめてやめてやめて。
理性がなだめた。
ゆるしてあげない。

「業の右兵、私を示しなさい」
踝から膝へ、腿から腰へ。
かつてとは違い、堂々とした様で青年は歩み続ける。
「業の左兵、私を護りなさい」
青年は誇りを得た。
そして今度は覚悟を得ようとしている。
色を落とされた指が、青白く震える手が、湖面に触れた。

かつてあった禊は死への疑似体験だった。
心を殺す事と同意語であり、身体も酷い発熱で果てかけた。
あれから何度、心を殺して生きてきたか。
あれから何度、体を傷つけ生きてきたか。
しかし、まことの死は、あのただ一度きりだった。

文献にあった、幾つもの伝承。
振り返れば全ては水泡に帰す。
醜い屍骸しか残らない。
死者は決して蘇らない。
死界は暗く、冷たく、幸福への黄泉路では無い。
しかし、その場所へ赴く必要があった。
青年の目的を達成する手段は、現世には存在しないと悟ってしまった。
諦めきれず書物にかじりつき、知識に耳を傾け、各地を巡り続けようと。

有りはしないのだ、青年が生きる此世には。

「青匂士、ただ側に控えなさい」
みぞおちの上を越えて、冷水が木綿を侵食する。
青年の顔色は、まるで死人だ。
色という色を失って、蝋人形のような虚ろな眼差しだけが残っている。
「白妙姫」
松の枝葉は、もう必要無かった。
二夜、三夜と繰り返す必要も無かった。
ただ冬の湖面に身を沈ませるだけで完了した。
「成就まで私を生かしなさい」
心臓が浸る。

青年にはもう一度、擬似的に死ぬ必要があった。
何故なら、それでも今こうして生きている、からだ。
幾ら擬似の死を積み上げようとも、死界へ赴く手段にはなりえないのだ。
覚悟を決めねばならない。
生きる必要と、死なねばならない結果を天秤にかけて、そのどちらも放棄できぬとわかりきっていた。
生きて帰らなくとも、目的のための手段だけを家族の元へ送ることは可能かもしれない。
いや、そもそも生きて帰るという発想こそ、過ぎた望みなのだ。
しかし青年には、それ以上の、ただ一筋の理由があった。

あぁ、だって網膜の裏に、梅の花が薫るのだ。

ならばこの禊は何のためにあるのか。
「私の命のともし火が消えるまで仕えなさい。
その全てが終わったあかつきには、私の血肉を貴方がたに捧げましょう。
この禊をもってして初めて契約は完了するのです」
既に肩まで水に浸かった。
緑がかった黒髪の先が、水を吸って益々色濃くなった。
薄紙が色水を吸うように。
「その全てが終わったあかつきには、真冬の湖水で清めた千歳の身体を捧げましょう」
手を伸ばす、いざよいへ。

私は月です。
私は光です。
私は貴方です。
私は全てです。
私を忘れないでください。
私を求めてください。
私も貴方を求めます。
私は愛です。

月は今宵もそこにあり永久にそこにあり、美しさは決して欠ける無く、私はそれと同等だと知ってしまった。
「千歳という供物は、これで完成致します」
知ってしまった。

そこまで言い切ると、それまでの緊張が緩んだのか。
それとも強い波風に水流が生まれたのか。
須臾を持って、青年はその場から、消えた。


闇夜に衣が浮かび上がる。
真っ白な厚手の、肌を露出しない衣は彼が聖職者である事を示していた。
しかし彼は偽りだと公言する。

空を仰ぐ。
聖職者は月の満ち欠けに敏感だ。
誰のことも、何のことも、考えていないと知る、ただの衛星のヒトツに心動かされていた。
折りしも今日の月は満ちた翌日。
夏には十六夜と呼ばれ、酒を掲げる理由になる。

聖職者には今まで積み重ねた人生から告げる声がある。
ある友人のことを思うと、終ぞ胸騒ぎがしていた。
彼の深緑の青年の、おっとりした笑みは美点だと思う。
うやむやな態度の中に全てをしまいこむ様は、嫌いではなかった。
しかし欠点とは思わなくとも、悟ってしまう時もある。

それは、これまで人と触れ合った先にある、直感だった。

深い森を抜けて、湖に辿り着く。
ひらけた場所であるせいか、いっそう強く風が吹きつける。
思わずマフラーを手繰り寄せた。
沸き立つ心を抑えきれずに赴いた夜の散歩だったが、失敗したかもしれない。
そも目的地も定まっていない徘徊に意味は無いのかもしれない。
沈んだ心持で、月下に目を向けた。
そこには胸騒ぎの元凶の背中があった。

「・・・夏山、さん・・・!?」
驚愕がそのまま声となって現れる。
「どうして、そんな、危ないですっ、そこは深くなっていて!」
薄い衣一枚で、何事かを呟きながら入水する。
そこからは生きようとする意志が見られなかった。
聖職者は焦りを感じる。
「駄目です、早く、上がって!夏山さん、夏山さんッ」
まさか、そんな、でも。
茫洋とした瞳を思い出す、青年の瞳にはいつだって死の影があった。
しかし、それは本来的には誰にだってある。
小さな違和感が小骨のようにつっかえながらも、何時ものことだと思っていた。
「夏山さん、夏山さん、夏山さん、千歳さん・・・!!」
だから見過ごして、しまったのか。
一瞬だけ躊躇して、ケープとコートを投げ捨てる。
湖面に分け入ると激痛が襲った。
しかし胸の内で熱く訴える言葉が、逃してはならないと、告げていた。
この機会を失えば永久の別れになるのだと。
だが水を吸った絹の重みは、対して身軽な青年との距離となる。
「千歳さん!ちとせさん!ちとせ」

夏の山が湖面に沈んだ。


少女がくさっていった、役立たずと罵られた。
殺したくないの、いや、いや、いや。
ちがうの、そばにいて、ごめんなさい。
貴方じゃ駄目、もう傷つきたくない、嘘、傷つけたくない、嘘。
肉がおちてた。
かいなが足りない、もっとだきしめて、もっともっともっと。
胡蝶の夢はもう嫌ぁぁ嗚呼アアアアア。
わたくしをえらんで、わたくしだけをみて。
かな兄ぃの首が千切れた。
幸せになっていいのかな。
あなたとずっと踊りたかったの、あの三曲目が終わってから。
まもりたい、でもそれ以上に、まもって。
血溜まりの中に、私の耳が落ちていた。



だれか、たすけて。




聖職者は反射的に潜水を試みようとし、留まる。
足を滑らせたにせよ、攣ったにせよ、意識を失ったのであれば尚更、身体は浮く筈だ。
ならば、どうして浸水したのか?
想像に心が凍りついた。

ふと聞いた、彼は金木犀の血を持つ魔性の一族の末裔。
最も純度の高い血に、幾人も惑わされてきた。

震えの止まらない身体を抑えつけるように深呼吸を一度。
再び、深く息を吸い、暗い世界へ飛び込む。
月光が降り注ぐ水面とは対照的に、視界の先は暗い。
浅い場所ならばまだしも暗闇の世界に浸った場合、天地が逆転したらもう帰ることは出来ないんじゃないだろうか。
怖気付く心をこじ開けるように、水をかきわける。
布地の重さに、どこか冷静な頭が、これは長く持たないと告げた。

インクを零したような湖底から光が舞い上がる。
気泡と共に、しかしそれよりも早く、水流を無視してたゆたう幾つもの光。
そう、舞い上がるという表現がぴったりだ。
淡く確かなそれに聖職者は見覚えがあった。
青年の使役するヒトツ、実体を持たぬ羽虫の精霊。
その光の発生地点へ向かい、真っ直ぐに水を蹴る。
程なくして幻想的とも言える光景の中に、信じたくなかった事実があった。

青年の喉に、腕に、腹に、脚に。
幾多の線が絡みつく。
蔓草は青年にとって守護するものの筈だ。
なのに何故、青年の命を奪いかねない行為を取るのか。
・・・いいや、違う。
青年の皮膚から生え出る蔓草は、確かに線の、触手の侵攻を抑えようと展開していた。
水底から伸びる触手が、青年を引きずりこんでいるのだ。
取っ掛かりの無い水中では不利らしく、蔓草の攻防は青年を傷つけない程度に留まり、決定打に欠けている。
青年自身に抵抗の様子は見られなかった。
焦りが聖職者を駆り立てる。
それこそどうして自分があの触手に対抗できようか。
見捨てられる筈もないというのに。

不意に、視界の隅に煌きが映ったのは、天啓か。

青年の首から生えた蔓草の束の中から、柄が覗く。
鋭い反射は鈍色の水中にあって白さを失わない刀身。
かつての宴で、社交場の華の名の元に贈られた。
青年の所持する名刀、氷雪の刃だった。
――剣、だ。

しぬな、と、魂が叫ぶ

その存在を確認するや否や、がむしゃらに手を伸ばす。
引き抜けば、鞘から抜刀するのと変わらない軽妙な手応えを感じた。
青年の身体を掴み、支点を作る。
蔓草と混じり絡みつく触手を、両者の区別無く引き裂いた。
触手の切断面から青黒い体液が噴出する。
一方、蔓草はそのまま塵となって朽ち果てた。
蔓草の切断による青年への影響が無いことを悟ると、今度は触手を掴み、躊躇無く突き刺した。
水が震えて、触手の声無き絶叫が響き渡る。
その隙をついて青年を引き寄せる。
何本かの蔓草が聖職者に絡みつき、支えの心配は要らぬことを知ると、急いてその場を背にする。
ただ全力を振り絞って、湖面に向けて推進することに集中した。

無呼吸と焦燥と恐怖から、湖面に着くまで何十分もかかる錯覚があった。
三度目、深く空気を吸った瞬間の安堵は、そうでない事実を示している。
追っ手の気配は無い。
青年を仰向けにして、陸地へと引き寄せる蔓草に身を任す。
血の気を失った顔が視界に映る度に、抱きしめそうになる衝動を抑える。
岸に押し上げてから青年を抱え、念のため湖から距離を取った所で仰向けに寝かせた。

軽く頬を叩いて声をかけるが反応は無い。
意識を失い呼吸も脆弱だったが、脈は確かにある。
水を吐かせれば、おのずと意識も回復した。
恐らく霊獣に心臓の停止は防げても、物理的な窒息への対処は出来なかったのだろう。
「夏山さん、聞こえますか、ANです、アリヤナシャANです」
ようやく時が流れ出したように青年の身体が大きく震えだした。
「けほッ・・げ、ほ・・・」
吐き出すものが無くなったのか、咳き込んでも乾いた音だけが控えめに響く。
「・・・ぁ、ん・・・殿・・AN殿?」
「えぇ、ANです」
「なん、で・・・」
それは此方の台詞だと、寸の所で飲み込む。
今は心身を落ち着かせるのが何よりも先決だ、と自分に言い聞かせた。

安心させるよう笑みを浮かべる。
「今は、まず暖かい場所に行きましょう、大丈夫ですよ」
ひとまず外傷は見当たらず、冷水に浸かっていた割りに無事な様子から察するに、見えないところで自分にも治癒が働いていたのだろう。
泳ぎに自信があるとは言え、真冬の湖に着衣のまま飛び込んで、こうまで無事な道理は無い。
しかし外気はどんどん体温を奪っていく。
せめての風避けにと脱ぎ捨てた衣類を探した。

のそり、どこからともなく巨躯の虎が現れ、咥えていた白い衣を落とす。
感謝を込めて鼻先を一撫でして、二人を守るようコートを羽織り、ケープを青年にかけた。
数瞬、思案してから青年の手を引き、虎に乗る。
横に包み込む形で固定をし、近くの街へ、と口にしようとすると。
「いいえ、東征、離れ・・・に」
「夏山さん」
「駄目・・です、あの城以外では・・・だめ・・・で、す・・・・」
耳障りの良い高めのテノールが、何時に無く低く、切羽詰った声音が途切れる。
訴えは脆弱でありながら必死だった。

真夜中の森を虎が駆け抜ける。
疑念はあった。
元々、この青年の住む城へと向かっていた足だ。
この場から、そう遠くにあるわけでもない。
だが一刻を争う自体において、とりあえず休憩のできる場所と、時間のかかる自宅を選べといわれて前者を選ばぬ道理は無い。
しかし、その理由をすぐに理解することとなった。
森がざわめくのだ。
精霊、魔物、妖怪、普段は低級なる自然の権化、そういったモノたちの視線。
本来的には武道や魔術の心得のある自分達に襲いかかろうとは考えもしない筈だ。

そう、しかし彼は金木犀の血を持つ魔性の一族の末裔。
最も純度の高い血に、幾人も惑わされてきたのだ。

衰弱し疲弊し、常日頃より生死の境が曖昧になっている青年は、彼らにとって天上の御馳走なのだろう。
腕の中の存在は蟲に嬲られる樹液、虫の心身を焦がせる炎。
甘く薫る魔性の血肉。
湖底にあった触手も、それに引き寄せられた一端だったのだと理解した。
そして今も、手を離しただけで、目を離しただけで。
比喩では無く、ただの一瞬で、青年は貪られ絶命する。

奪わせてなるものか。

暗闇を睨みつける。
冷酷に吹きつけ、衣服に潜り込む風に顔をしかめて、よりいっそう青年を強く抱きしめた。
聖職者の腰には剣が携えられている。
蔓草が回収していたそれを再び手にした時、聖職者は鉛のような感慨に浸った。

青年の口ぶりは、ただパーソナルスペースを希望しての発言では無かった。
深い深い怖れと、果てしない断定があった。
水中の光と同様に信じなければならないと強く思わせる。

その名は、信頼だ。




暗く冷たい水の中で、銀色が遠ざかる。
あぁ、今度こそ果てるのだな、と思った。
魔物とも呼べぬ、意思を持たない下級精霊の群れ。
普段はヒエラルキーの底辺だと本能で自覚して、じっとしている筈だったモノの突然の暴走。
この青年は眠りの最中であっても牽制と自衛を怠らない。
だからこそ探知も守護も治癒も放り出して、十年以上ぶりに無防備になった青年に反応したのは明らかだった。
これが夏山の血肉の末路か、と。
端から抵抗を諦めて意識を手放す直前。

霞み揺れる視界の中に、金色の光が『視』えた。



虎は正門からでは無く、それこそ隠れるように裏手から直接、離れの倭建築へ向う。
ずぶ濡れの二人を出迎えたのは、羽虫の知らせを受けて待機をしていた機械人形だった。
用意されていたタオルを渡されて、備え付きの温泉に案内される。
冷え切った身体を湯船に沈めた。
青くささを洗い流し、代わりの浴衣に袖を通す頃には、つい半刻前にも満たない出来事の現実感が薄れていた。
あれは湯煙のうたた寝に見た夢で、自分はただ遊びに来ただけではないのかと。
淡い期待は、風呂籠の中に残されていた白い剣が打ち砕いた。

青年も帰宅と同時に意識を取り戻していた。
介助を申し出たが頑として聞き入れず、少し休んでから向かうという主張は最後まで崩れなかった。
聖職者が上がる頃には、とうに青年も戻っていた。
布団に押し込まれたまま上体を起こし、縁側に続く障子の向こうをじっと見詰めている。
脇に置いてある盆にはレモネードが二つ、湯気をたてている。
きっと機械人形が用意してくれたのだろう。

横顔を見詰める。
頬や指先に血の気は戻ったが、そう良い顔色には見えない。
「・・・長湯をすると、目眩がしますから」
疑問を先読みしたのか、掠れた声が響く。
おっとりした様子とは裏腹に、はきはきと抑揚をつけて喋る筈の青年の声からは、日頃の若さが感じられなかった。
いや、生気だろうか。

「でも濡れ髪を放っておいて良い理由も、ありませんよね」
青年の肩に掛かっていたタオルを取り、背後から頭に被せる。
「倭人の方の艶やかな、烏の濡れ羽色も好きですが」
ぽんぽんと髪を挟むようにして水気を取る。
青年が左耳の傷痕を見られたくないと良く知っていたから、粗雑な真似など出来なかった。

狭くは無いが緩やかな斜線を描く肩に戸惑いを感じる。
日に晒されないためか血管が透けるうなじに水滴が垂れた。
触れる、目の前の身体が強張った。
掌の温もりを分け与えて、肌の冷たさを請け負って、体温が中和されていく。
人肌は心を緩ませる。
強張りは溶けて、変わりに新しい緊張が走った。

「・・・なんで、あなたが、あの場に・・・?」
気付いていないのだろう、この青年の涙を堪える声は存外にわかりやすい事に。
柔和な殻に守られた強がりに胸を焼く。
「運命の人だからですよ」
「あは、また、そんなこと仰って」
「冗談のつもりは無いのですが、何故か皆さん、そう仰るのです」
半ば本気の溜め息をつけば小さな笑いの空気を感じる。
そこに偽りは感じなかった。

ぽんぽんと、不揃いのリズムが部屋に響く。
途切れた会話の気まずさに、青年はレモネードを一口すする。
外からも内からも身体を温めれば、この健康な身体はおのずと回復するだろう。
しかしそれは心の奥底まで届かないのでは無いだろうか。
あの月光の届かない湖底のように。
「まことに」
搾り出すような呟きが漏れる。
「あなたの視線は心臓に悪くございます、ね」
諦めたように項垂れる。

きっとこの青年はわかっているのだ。
自分の心を彼が読めるように、彼の心を自分が読めることに。
互いの思考の癖は似ている。
だから、それは彼にとっての切り出しなのだと悟った。
「・・・あれは禊なのです」
どこまで晒してくれるのだろう。


「私は、故郷の家族の身体に起きた変異を治癒するべく、この大陸に参りました」
ちりちりと後頭部を焼く。
聖職者のまなざしは、何時だって含みを持っていた。
もしかしたら何よりも雄弁なのかもしれない。

「義妹は五つの頃より一切の成長が止まりました。
叔母は酷い時は秒単位で人と獣の境を変化するようになりました。
私の白妙は、骨が歪み、肉が抉れ、腹から下を失いました」
それに突き動かされる。
唇がとめどなく言葉を紡ぐ。
「白妙にとって治癒は息をするより簡単であっても、解呪は専門外でした」
心揺さぶられる。
「ましてやマナを垂れ流す程の傷を負い、治癒の能力の質も低下しております。
私への負担の強さと引き換えに保っているようなものです」
そこまで一気に告げて、一呼吸を置く。

目を瞑れば、傍らの火鉢と背後の身体から温もりを感じた。
「治療の手立てとなる・・・かもしれない一端を、私は見つけました。
安穏たる手法ではありません、でした、が」
全ての命運は自分にかかっている。
改めなくとも心得ていた現実は、何時も心に重く圧し掛かる。

背後のまなざしが問いかけた。
理解している、ここまで言えば、次の疑問など。
「ですからあれは覚悟の表れの禊だったのです。
本来的には・・・あれで終了する筈で、イレギュラーから救っていただけて感謝の気持ちも尽きません」
しかし、あえてずれた回答をした。
理解している、こんな浅い言葉では聖職者を騙せない。
だからこそあえてを理解して、踏み込まないでいてくれる優しさに淡い期待を抱いた。
けれど。
「ならば何故あの時、抵抗なさらなかったのですか」

・・・鳥が鳴く。


「・・・自殺にしか見えなかったでしょうね」
「そうじゃ、ありません」
薄い背中に手を置く。
全てを曖昧に溶かして、ただ甘やかしても良い。
表面上のやり取りで流しても良い。
「蔦も、羽虫も、あなたを助けようと必死でした。
なのにどうして肝心のあなたが抵抗しなかったのですか」
しかし踏み込んでしまった。
あの牽制で青年の中の、踏み込んで欲しいという切望を知ったから。
それに対して無責任に手を差し伸べやできないけれど。
「あそこには、氷雪の剣が、ありました。
夏山さんなら御存知の筈ですよね。
抵抗の手段はあった筈だ、なのにあなたは死を選んだ」

この青年に、どうしても知って欲しいことがある。

「あなたは、あなたが居なくなることで哀しむ人々の存在を、知らなすぎる」
青年の根底にあるものを識った。
それは異常なまでの不信だ。
青年は信じていない。
青年が周囲に与える幸福を、青年が周囲にもたらす心痛を。
だからああやって容易く生を放棄できる。
「あなたは、あんなにも、あたたかいのに」
自分なんか居なくなったって、誰も心動かさないと信じている。

「私は、夏山千歳が死ぬのは嫌です」
その根底にあるものは、自分の心を護る為に出来上がった、異常なまでに頑なな不信。
そして同時に、その不信にもがいて発せられる同調に、どうしようもなく心惹かれた。
彼のあたたかさには、傷みが伴っている。
信頼を欲するも信頼を向けられない後ろめたさが。
ようやく青年の本質を識ることが出来た。
この声は大多数の一人の呟きとして処理されるだろう。
それでも光の届かぬ深淵で嘆く欠けた心に、届けば良いと願った。
あなたの価値を知ってください。

「死なないでください、千歳」

脆い心を抱えて生きる、寂しがりのあなたが発する同調は、必ず誰かを救います。
見返りを求めているのも知っています。
その見返りは、どこまでも深い愛欲で、自己嫌悪に彩られているのも知っています。
だから見返りを求めながら、その見返りに気付かないのも、受け入れられないのも知っています。
そのあなたに死ぬなと、生きろと言うのは酷なのかもしれません。

背に置いていた手を離す。
自分が踏み込めるのはここまでだと線を引く。

そう、あなたの存在はあたたかい。
あなたは信じてくれやしないが、何度だって口にしよう。
水底から舞い上がる光のように。
暗闇に怯える震えた声のように。
不信に苦しみ、信頼を畏れる、やわらかいあなた。
守れるものなら守りたかった。
しかし、この手であなたを守るには、抱えているものが多すぎる。

だから口にしよう、祈りを込めて。

「千歳、あなたは私にとって、あたたかい」
信じてもらえなくとも、何度でも。


手が離される。
聖職者の言葉は何時だって青年の心を守ってくれた。
自分勝手な行動を取って、謝りながらも変わらない愚鈍な自分を、許してくれた。
その度に深い感謝と凍りつく心を知った。

「う、嘘・・・」
優しくしないで、千歳の業は深いの。
「そんなの嘘、嘘です、嘘」
罪を許して、ううん、罰を与えて、千歳は酷い人間なの。

「千歳」

苔むした冷たい岩に染み入る、ただそこにある声。
「あなたは、あたたかいです」
耳をふさいだ、かぶりをふった、駄々をこねる子供のように。
「違う、千歳は、あれは、ただの禊で、死にたい気持ちなんて!」
「千歳」
「だって千歳を待っている人達がいるんですもの!
嘘、嘘です、死にたくなんか、ないです!!」
「千歳」
「し、しにたく、なんか、だから・・・」
染み入る、水のように、染み入る、声が深く。
本能が拒絶する。
その事実を認めてはならないと。
でも染み渡る現実から、目を逸らせない。

「ならば何故、抜き身の刃物を構えた男に、無防備に背を晒しているのですか」

「ッ・・・!!」
丸まっていた背が痙攣するように伸びて硬直した。
途端、首元から、袖の隙間から、蔓草が展開する。
同時に聖職者はサイドステップで距離を取る。
聖職者の心臓を貫こうと一直線に伸びる蔓草は、躊躇無く切断された。
氷のように冷静で、燃え盛る摩天楼の眼差しが交じり合う。
青い瞳に映った慟哭に、聖職者の動きが一瞬、鈍った。
蔓草が頬をかすり、血が滲む。
「左業!左業!いやあああぁぁ!!助けて、左業!」
次々と襲い掛かる蔓草を、鮮やかな剣舞がいなす。
まずは一閃、返しに一閃、身を翻し避けて、勢いのまま一閃。
わかりやすく急所ばかりを狙う軌道は避けやすい、が確実ではない。
びゅるると空気を切り裂く音は、そのまま脇腹を浅く抉った。
「ン、っ」
しかし剣は、侵攻は止まない。

詰められる距離に焦ったのか、攻撃はますます単調なものになる。
心臓に伸ばされた蔓草の一本を掴み、力いっぱい引いた。
「ひ、ぁ・・・!?」
蔦と肌の境界線に負荷がかかり、肉ごと引きちぎられる。
鮮血が舞った。
痛みに怯んだのか、蔓草の侵攻が一瞬、止まる。
その隙をついて、青年の肩が蹴り倒される。
横倒しの身体を仰向けにされ、肩を踏まれ、喉元に剣を突き立てられる。
剣を持つ手を離せば、いや、手元が狂っただけで、容易く絶命する。

だのに見上げた顔は、いつものように笑んでいた。

「やっと泣いてくれた」
剣を逸らされ、投げ捨てられる。
変わらない声、変わらない態度に緊張が緩む。
身体を押さえつけていた足を退けて、痛々しそうな視線が傷口へ向けられた。
「ごめんなさい、でも安心しました」
騒ぎを聞いて駆けつけた機械人形から白い布を受け取り、したたる血液を押さえる。
「やっとあなたから、生きたいって声を聞けた」
赤い色が聖職者の白い手を汚す。

「・・・ふ、ぁ、う・・・あ、あああああ」
あぁ、あぁ、そういえば、この人は言っていた。
今は剣を預けて有るのだと。
今、偽りの聖職者は剣をとることはない、と。
その彼が剣を振るった。
振るわせてしまった。
「ごめん、なさい、ごめんなさい、ご、ごめんなさい・・・ッ」
「大丈夫ですよ」
「ぅ、あああ、あっ、ごめ・・なさい、ひ、うああぁ、あああああ」
「心を守ろうとしたんですよね、わかっていますよ。
ほら、私には傷一つ無いじゃないですか、だから大丈夫ですよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、あ、アア、ぁ、あああう」

金木犀に混じる鉄。
自分のものではない血のにおいがして偽りを知った。
そう、この人は偽りの聖職者。
有耶無耶の海を心に秘めて、偽りを持って真と合する。
彼の言葉には愛があった。

顔を覆い隠して泣き叫ぶ。
ほんの些細な悪戯が大きな失敗になり言い出せずにいた童子のように。
心が決壊する。
身体がぐずぐずに溶ける。
夏山の千歳を失って、ただの一人の弱い人間になる。
泣きじゃくり続ける頭をぽんぽんと撫でられた。
この心を覆うものをこじ開けようとせず、ただ温かい手が、そこにあった。
あぁ、シャッターの向こうにあった手と同じだ。
その温もりは、私を大切にしてくれる人の御手。

ごめんなさい、優しくしてくれて、ありがとう。

月が沈み夜が明ける頃、私は夏山の千歳に戻るだろう。
こうして一人の人間として、この人の前で泣くことは、もう二度と無いだろう。
だからこの時間は、夜が明けて月が沈むまでのもの。

でも月は必ず、そこにある。
優しさを与えてくださった思い出は、胸の中に生き続ける。
それは光だ。
傍で支え続ける太陽のように、遠く見守る幾つもの星屑のように、弔い続けた墓前の灯火のように。
夏山さん、あなたはあたたかいです。
遠く、遠く、遥か遠い湖面の向こうから、聞こえたような気がした。


夜が明けても。
私を生かす月の光は胸の中に生き続ける。




ED 志方あきこ
『白夢の繭−Ricordando il passato−(short version)』
posted by 夏山千歳 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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