2011年09月07日

マナ 漆




..
『枝葉は、業は、何時か時と共に磨耗し許される。
それが一本の枝葉なら問題は無いのだけれどね。
積み重なったものは果てしなく、夏山の血筋が続く限り、増え続ける』
喉のひりひりとした痺れは、青年の生を証明した。
そして表情を判別できる程に近づいた人影は、基本的には無反応のようだった。
時折、ほんの時折、その身を苛み続ける悪意に表情を変える。
渇ききった涙と官能の入り混じった陶酔に。
『この大樹は全て彼が受け入れた罰。
この大樹の最後の枝葉が枯れるまで、彼が解放されることは無い』
女の言葉を信じれば、あの人影に最早、生は無い。
あの反応は生を証明しない筈・・・なのに。
「どう、して」
『さぁ、知らないわ』
どうして、あんな陶酔を得ているのだ、彼は。

『あれは輪廻転生を阻まれ続けている。
しかし確かにその選択を取ったのはあなたなのよ。
内包された真実を知るのは、あなたしか居ないから、ここに真実は存在しない。
だからこれが、あなたの至った未来であり、あなたの至った事実』
突き放す女の言葉は淡々としていた。
強い虚無感が心臓の内側からあふれ出す。
青年に実体があれば、膝を突いて座り込んでいただろう。
眼下の顔を見据える。
濁り乾いた瞳は亡羊としていながら、どこか満足気に緩んでいる。
半開きの唇は感情を作る事は無かったが、思い出したように小さく鳴く。
左耳元に髪飾りは無かった。
すっかり伸びた髪の隙間から、ひきつれた傷跡が見えた。

『・・・覚えておきなさい、罪を赦される為には弔うしかないのだと』
未だ呆然としたままの青年を叱咤するように声が掛けられる。
『もう夢に頼る方法は止しなさい。
幾多の精霊を身に宿すあなたは既に生死が曖昧な存在なのよ。
ともすれば此方側に引っ張られかねないわ』
「曖昧ならば・・・余計に、この方法が得策ではございませんか・・?」
青年の声が諦めにも似た冷静さを取り戻す。
女は首を横に振った。
『少なくとも、方法を伝えねばならないでしょう。
まことの一人にあって、あなたの帰還以外にどうして解呪の術を伝えられるの』
なによりも、と続ける。
『あなたは許す事によって赦されるという事を知らなければならない。
かつて全ての財産を、友人を、記憶を失った鳥のように』
ゆるゆると見上げる。
女の瞳は絹糸越しであっても確かに毅然としていた。
強い意志を持つ人格は、どうしてこうも美しいのだろう。
翡翠は、その硬度自体は輝石の中では低い部類に属する。
しかし内部に針状の小さな結晶が複雑に絡み合い、全ての鉱物の中で最も割れ難いのだと聞いた。
脆い心を抱えながら、したたかに生きてゆく。
目の前の女は、そういった人生を歩んできたのだろうか。
知りたくなった、彼女が美しくあれる理由を。

『あの鳥は、もう一度、あなたの元に帰ってくる。
あなたの助けとなる為に、必ず、帰って、くる』
帰ってくる。
訪れるでも戻ってくるでも無い。
あの鳥も美しい魂を得られたのだろうか。
脆く傷つきやすい繊細な心のために死に、たった一度の恋を想って鳥の心は甦った。
凄絶な人生だった。
『あの鳥は強い』
琥珀のように傷つきやすく、しかし抱合する何か。
『今はそれを待ちなさい。
それはきっと遠くない未来だから』

この人も、たった一度の恋に死んで、甦ったのかな。

小さな疑問は青年に緩やかなまどろみを運ぶ。
霞がかる視界に、この世界の終わりを知る。
力の抜けた身体を小さな身体が支え、抱きしめた。
白い頬が胸に当てられる。
厚い布越しだからか、鼓動は感じなかった。
『今は、あなたはあなたの生を駆け抜けなさい。
それからで十分。
ここも確かにあなたの愛する果てになるけれど、今のあなたには今でしか過ごせない場所がある』
「あなた・・・は・・・」
すれ違いざまに磔台の罪人と目が合ったような気がした。
着水する。
巻き込んだ大気と、体内にあった空気が混ざりながら、大小の泡が逃げていった。
いつの間にか実在を得ていた、らしい。
『言ったでしょう、ここに還るのは彷徨うものだけだって』
女は笑う。
それは彼女が浮かべ続けたものではなく、初めて彩られた笑みだった。
『覚えておきなさい、あなたには地を踏み締める両足があるのだから』
ここは、暗く、冷たい。
しかしどこか満たされた心地で見送る。



意識を、手放した。
posted by 夏山千歳 at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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