2011年08月31日

旅日記

■葉月二十五日
たとえば、早朝の身を切るような水を汲み上げて
ささやかな朝餉を終えた後に迎える慌ただしい時間

冷たい風とは裏腹に、腹の中から温めるような日差しを受けて
きなりの手ぬぐいと幾つかの衣類を干す

夕暮れと共に帰る手には新鮮な牡丹の肉
根野菜を洗う手の汚れを笑って見詰められる

夏と秋が入り混じる満天の星空には、ぽっかりと穴が空いていて
今日は新月だね、と杯を交わして


(そこまで綴って、西瓜だよとの呼び声に青年は席を立った

■葉月二十六日
(ぱたぱたと駆け込んできた青年

(雨避けに被っていた夏衣の羽織りは、すっかり水を吸って重くなっていた

見事な雷雨にございますねぇ
大気中をふるわす轟音が、上天の光が、たたき付ける大粒の雨が、世界の全てを包みます

薄暗い野外と薄暗い屋内の境界を描くのは生暖かい暖簾だけ
しかし、それは確かに、世界と個人を切り分ける

こんな日は
嵐にさらされてみるのも悪くないかもしれない
夏の終わりの生温さを風が冷やしてくれる

名残惜しささえ胸の内に去来しますね


とは書きましたが、実際、濡れ鼠になりますとお風邪をひきかねませんので
良い子の皆様方は真似しちゃ駄目ですよ(笑

■葉月三十日
懐かしい一文を見つけた


皐月蒸す 霧雨に浮く 新緑と
つつじの薫る 狂おしい程

多分、私は幾つか大人になって
ありのままに感情を受け止める事が無くなった
貫くような憤りも、掻きむしるような悲しみも
若い頃より緩慢に受け取る事が出来るようになった

心燃える歌が、私を遥かなる高みに導く
しかし同時に呆気なく突き落とす事を知っている

私は欠けている
初恋の日に失った心は何処へいったのだろう
虚像は満月に姿を変える
それでも想う
願いは、時々、叶うと知っているから


きらめけ 世界中に
僕の歌をのせて

■葉月三十一日
傘をさすことを覚えても、打ち付けられている事に変わりは無い

10センチ先の雨脚を私は遠く眺める
身動きもとれぬ豪雨の中、私は歌を歌う

届け、届け、届け

傘を投げ捨てて生きてゆくには、この心は脆すぎた
だから馬鹿だと解っていても、歌い続けるんだ
明けない夜が無いように、止まない雨も無いのだと
深く信じさせてくれた人々がいたから


届け、愚直な気持ちを歌にのせて
posted by 夏山千歳 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック