2011年01月27日

禊 漆




..



暗く冷たい水の中で、銀色が遠ざかる。
あぁ、今度こそ果てるのだな、と思った。
魔物とも呼べぬ、意思を持たない下級精霊の群れ。
普段はヒエラルキーの底辺だと本能で自覚して、じっとしている筈だったモノの突然の暴走。
この青年は眠りの最中であっても牽制と自衛を怠らない。
だからこそ探知も守護も治癒も放り出して、十年以上ぶりに無防備になった青年に反応したのは明らかだった。
これが夏山の血肉の末路か、と。
端から抵抗を諦めて意識を手放す直前。

霞み揺れる視界の中に、金色の光が『視』えた。



虎は正門からでは無く、それこそ隠れるように裏手から直接、離れの倭建築へ向う。
ずぶ濡れの二人を出迎えたのは、羽虫の知らせを受けて待機をしていた機械人形だった。
用意されていたタオルを渡されて、備え付きの温泉に案内される。
冷え切った身体を湯船に沈めた。
青くささを洗い流し、代わりの浴衣に袖を通す頃には、つい半刻前にも満たない出来事の現実感が薄れていた。
あれは湯煙のうたた寝に見た夢で、自分はただ遊びに来ただけではないのかと。
淡い期待は、風呂籠の中に残されていた白い剣が打ち砕いた。

青年も帰宅と同時に意識を取り戻していた。
介助を申し出たが頑として聞き入れず、少し休んでから向かうという主張は最後まで崩れなかった。
聖職者が上がる頃には、とうに青年も戻っていた。
布団に押し込まれたまま上体を起こし、縁側に続く障子の向こうをじっと見詰めている。
脇に置いてある盆にはレモネードが二つ、湯気をたてている。
きっと機械人形が用意してくれたのだろう。

横顔を見詰める。
頬や指先に血の気は戻ったが、そう良い顔色には見えない。
「・・・長湯をすると、目眩がしますから」
疑問を先読みしたのか、掠れた声が響く。
おっとりした様子とは裏腹に、はきはきと抑揚をつけて喋る筈の青年の声からは、日頃の若さが感じられなかった。
いや、生気だろうか。

「でも濡れ髪を放っておいて良い理由も、ありませんよね」
青年の肩に掛かっていたタオルを取り、背後から頭に被せる。
「倭人の方の艶やかな、烏の濡れ羽色も好きですが」
ぽんぽんと髪を挟むようにして水気を取る。
青年が左耳の傷痕を見られたくないと良く知っていたから、粗雑な真似など出来なかった。

狭くは無いが緩やかな斜線を描く肩に戸惑いを感じる。
日に晒されないためか血管が透けるうなじに水滴が垂れた。
触れる、目の前の身体が強張った。
掌の温もりを分け与えて、肌の冷たさを請け負って、体温が中和されていく。
人肌は心を緩ませる。
強張りは溶けて、変わりに新しい緊張が走った。
posted by 夏山千歳 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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