2010年07月08日

ティル・ラー・ポット

花の透かしが入った白い便箋に、今にも千切れそうな文字で書かれていた。


..
山の麓の小さな温泉街。
そこが自分にとって四度目の故郷だった。

生まれ落ちた地には、もう殆ど足を運ばなくなった。
妻だった彼女を連れての婚前祝いが最後だろうか。
後ろめたさと寂しさが降り積もる、あの地で心穏やかに余生を過ごす自信は、これっぽっちも無かった。

次に身を置いたのは夜の街。
どこであろうと多少は栄えた街ならば、足どり危うく彷うだけで、ぽっかり空いた心の隙間を埋めてくれるような気がした。

そうして夜と戦場を駆け抜けて、ボロボロになった自分を見付けてくれたのが、かつての妻。
血まみれになって山中に倒れていた、あからさまに不審な男を保護し手当をするようなお人よしの世間知らずで。
親兄弟も早くに亡くし、それでもお節介なくらいに温かい村の人々と一緒に、日々を慎ましく逞しく生きていた。

一人住まいの女の家に、怪我人とは言え若い男と二人きり。
あらぬ誤解を受けても言い訳のしようが無いだろう、だから出て行く、感謝はしているが二度と構うな、と。
何度諭しても聞かなかった。
だってその傷で何処へ行くの、傭兵さんだってむやみに命を落として良い道理は無いわ、村の皆も心配しているもの、と。
酌量する割には、頑として聞き入れようとしなかった。
温もりを感じる程度の距離は心地好かったが、それに溺れることが恐ろしくて・・・酷く扱う振りを見せた。
自分のようなろくでもない人種もいるのだから誰にでも優しくしてはならない。
それだけを告げて命の恩人と言える人を突き放して戦場へと帰って行った。

なのに。
戦場も鎮静化して依頼を果たし、関所の規制も緩和して帰ろうとする自分の元に彼女は姿を現した。
緩和したとて、まだ治安が良いは言えぬ場所に身一つでやって来る彼女の神経を疑った。
そうしたら平然と言うんだ。
だって貴方に会いたかったんだもの、と。

決して美人では無い素朴な村娘だったが、その時の笑顔が・・・笑顔というものを初めて可愛いと思った。
人を疑うことを知らず、どこまでも真っ直ぐで馬鹿な女だと思った。
自分のような人間に優しくするなんて・・・本当に馬鹿で愚かで、だから守りたいと思った。
彼女に相応しい生き方をしよう、ちっぽけな手だが彼女を守ろう、つまらない男だが彼女と寄り添おう。
前しか見ることを知らず、笑顔とお節介と愛情を振り撒く彼女の生き方を、俺は生涯にわたって肯定し甘受したいと切に思った。

それを告げた時の彼女の反応はあっけらかんとしていた。
意外とおばかさんなのねと笑っていた。
何とも思っていない男性を・・・誤解も恐れず・・・家に上げて看病し続ける程、私は子供じゃないのよ、と。
彼女は知っていた。
自分が彼女を尊敬しながら見下していたこと、同時に呆れるくらい神聖視していたことを。
そして、その視線を向ける自分の戸惑いを感じる度に言いようの知れぬ甘さを噛み締めていたと言う。
確かに彼女は慎ましくも逞しかった。

その時に請け負っていた依頼を全て果たしたら、農夫として生きていくつもりだった。
幼なじみの少年の現状を確認し、それに対して可能なフォローをする。
その他にも何件か小さな依頼が残っていたが、順々に滞り無く完了していった。
合間を見て彼女の元へ通っていた。
その日も、何時も通りの短い休暇を彼女の元で過ごすつもりだった。
つもり、だった。

日の当たる小さな村は、煤と瓦礫しかない廃忖へと変貌していた。
かろうじて残っていた者によれば、傭兵崩れと思われる野盗の集団に根こそぎ連れ去らわれたそうだ。
食糧、燃料、金品、家畜、人間。
奴らの欲望は留まる事を知らない。
人を脅し殺す道具に手慣れた集団に、いくら頑丈な男達が集まったとて敵う術は無かった。
連れ去らわれた彼らの行方を死に物狂いで調べた。
結果、眉目麗しい女は夜の街に、大半は貴族への奴隷として売られたことがわかった。
妻は・・・比較的、地味な容姿だったため後者だった。
それを幸いと思ってしまったのは俺の罪の一つだろう。

足取りを掴んでからは、それまでの数年が嘘のように短かった。
奴隷解放軍に混じり野盗を処刑し、人身販売に手を染めた一族を捕らえた。
一族の行く末は正義の名をうたう彼らしか知らない。
ただ妻が拘束されていた筈の城には、既に彼女は存在せず、生き写しのような児童だけがいた。
・・・髪も目も肌も羽も、俺に、いやによく似た。

妻は獄中での出産に堪えられなかったと聞いた。

妻を失った奔流、子を残された途方。
茫羊とした曖昧な意識の中で日々をこなした。
娘は、母を一人にし助けに来られなかった俺へ憎しみの眼差しを向けた。
あまりにその通りだったし、子がいたことに狼狽を隠せぬ俺は娘にどう接すれば良いのかわからなかった。
気付かなかったとは言えいずれはと望んだ子だ。
怯えても憎まれても接してゆけば何か変わったのかもしれない。
けれど、たらやればに期待するには心が摩耗していた。
俺は旧知・・・親友と呼んでも良いと思える男・・・に娘を託した。

暫く手元で世話をしていたらしいが、秋の始まりに全寮制の学校へ入れたと聞いた。
娘は・・・彼女は生まれた時から奴隷の子として尊厳を奪われてきた。
一生、脅えることになっても安穏な生活を欲するか。
トラウマの元である貴族のお嬢様に囲まれても、誇りと知識を欲するか。
彼女は自分で歩くための靴を選んだ。

俺も旧知も不器用が過ぎる男なのかもしれない。
些細な出来事から旧知の実子を預かることになった。
もう遠いとも言える昔に熱をあげていた遊女との息子だと聞いた。
何の因果か、やはり旧知に生き写しの、冷めた目をした少年で。
確証しか持てぬのに実感を持てない存在に旧知は戸惑っていた。

罪滅ぼしと呼ぶには的外れで、博愛と呼ぶには噛み合わない。
恩返しと呼ぶよりは利害の一致の方がぴんときた。
丁度、昔ながらの傭兵仲間から新しい街を作る話を持ち掛けられていた。
雪深い山の麓に俺達の故郷を作らないか、と。
少年の境遇を知った頃と重なったのは偶然だった。
些細なきっかけに後押しされて、その少年を引き取った。

安住を望む傭兵や店を持ちたいキャラバンが寄り集まって出来た温泉街。
自警団の指南役を受けることで、その片隅に家を持った。
俺と少年それぞれの部屋、客間が二室、屋根裏が一室、台所とダイニングを兼ねたリビング、源泉をひいた浴室に小さな庭。
街から外れて土地が余り気味なのを幸いに二人で住むには余裕のある家を建てた。
妻の忘れ形見が帰ってくる未来、何時か少年が伴侶を連れてくる未来。
そんな過ぎたものを望んだのかもしれない。

だから、この地は俺にとって四度目の故郷なんだ。
堅苦しさも心苦しさも無く、ただ時が流れるだけ。
湯煙と雪が清らかにした、この場所には何も届かない。
風の声も、夜の彩も、陽の手も。
だけど俺は忘れない。
辛い記憶も哀しい経験も、全てが降り重なって現在があるから。
たらやればの未来に・・・今でも焦がれる夢を見る。
それでも目が覚めて手元にあるものを、やはり俺は手放すことが出来ないんだ。
桂に会わせたいよ、きっと君も気に入る。
赤音は元気になったよ、俺のつけた名前も忘れないでいてくれる。
俺は君に出会う前の俺に戻ってしまうんじゃないかって心配になった。
けれど、この地を帰る家と思う度に、俺は君の呼んでくれた柔らかな響きの男に戻る。
ヒヨリ。
俺は今でも変わらず君を。
posted by 夏山千歳 at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 火の鳥の手紙、又は手記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/155807260
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック