2008年11月13日

北へ

以下、異大陸とNPCが主役の物語となります
ご注意くださいませ


..
変わらない満月。
変わらない空気。
変わらない時間。
変わらない、俺。
この大陸は永遠に終わることを知らない。

もう何日、人と言葉を交わしていないのだろうか。
ひっそりと静まり返った家の中、少年は喉の渇きを癒すため台所に立っていた。
季節通りの湿った空気が肌にまとわり付く。
一時期は回復したものの、今では見る影も無くやせ細った白い手首が闇に浮かぶ。
自分が骨と皮だけのカラカラの存在になったような気がした。
最初の頃は食欲もあった。
だが幾ら食べようと、幾ら身体を動かそうとも、この身体は肉を失っていった。
何をしても無駄だと思い始めると、急速に食欲は落ちていった。
衰えきった身体は少し歩いただけで軋みをあげる。
これはまるで魂の欠如じゃないか。
今の自分にあまりに似合いな文句に、笑みを浮かべてしまった。
乾いた唇が痛む。

今日は風が強いのか。
戸を打ち立てる音が耳にうるさい。
曇りかけている窓を見た。
家の中より外の方が明るいようだ。
日付が変わって間もない時間帯だと言うのに、おかしなことだ。
白い影がガラスの向こうを通り過ぎる。
(白い影?)
尋ね人だろうか?
長く誰も訪れることの無い家だと言うのに。
それとも泥棒だろうか、こんな寂れた家に?
ペンキだって剥がれている。
もしかしたら幽霊かもしれない。
足を引き摺るようにして、玄関の戸を開ける。
「残念ながら此処に住んでるのは幽霊の仲間じゃないよ。
誰だか知らないがさっさと帰ることだな」
開口一番に相手を拒絶する言葉が出るのは最早、癖と呼んでも相違ないだろう。
何時もならそれで終了する筈のやり取りが、今日は久しく終了しなかった。
「や・・・サト、ライ」
何故ならそこに居たのは、幽霊でもあり、自分の仲間でもある人間だったからだ。

「随分と長い間、姿を見せないと思ったら・・・。
なんなんだよ、その格好」
反射的にきつくにらみつけてしまう。
目の前の人間は、正しく描写するのならばおよそ人間の姿をしていなかった。
身体全体は以前よりもっと透け、おぼろげなのは・・・彼の性質を考えたのならば問題の無いことだった。
だが身体の所々が水に溶けた薄紙のように途切れ、明瞭だった声は風の囁きよりも聞き取りにくいものとなっている。
空色の振袖は千切れた枯葉のようであるし、髪の毛さえ満足に長さが揃っていなかった。
彼が薄汚れた格好をしているわけではない。
彼自身の存在が、希薄となっているのだ。
「も、難しくて、ほんとうに・・・・。
でも・・どうしても、此処に来なければ、ならなかったん、だ。」
よく通ると評された声は、ノイズ交じりのかすれたものになっている。
今、この人に会って、何人があのイドだと気付くことが出来るんだろう。
活発でよく笑う、あのイドだと。
「忘れ、物・・・あってね。
ひどく大事、なもの、だ・・。
もしか・・ら、それがあるだけで、もう少し・・生きる事が出来るか、もしれない。」
それでも、印象的な空色の瞳は、真っ直ぐにこちらを見ていた。
「それにね、サトラ・・に伝えたい事が、あるんだよ・・・」

「お前には、ずっと、俺が表にだすこと・・・のできない感情を、かかえさ、せてしまったね。
鬱屈、した、醜く、直視しがたい感情、を」
そうだ、俺は忘れていない。
容赦なく降り注ぐ雨の冷たさ、身体を貫く痛み、疑心暗鬼だけが心を占める日々。
俺にとって最後の変動だった日々と、その裏に潜む俺の中の魔物の影。
「そ・・事をずっと、後悔していた・・。
ほんとうは俺が立ち向かわなきゃ、ならない感情だった。
ほんと、は、俺が理解して、のりこえなければ・・・ならない感情、だった」
筋肉がそげ落とされていく身体を笑った俺と、全く同じ表情を見せる。
何だってこんなマイナスな場面だけ似てしまうんだろう。
少し、悲しい。
「それを、サトライに、背負わせてしまった」
振袖が透けて青白い肌が見えた。
あんたの血管は、もう、動いていないのかな。
服を身にまとうことすら困難なのだろう。
ずっと口では限界だと言っていた。
だけどあんたの言う限界は、この世に存在することじゃない。
生前のままの姿を維持する力が、限界だったのだろう。
かつての友人達に、今の姿は見せられなかったんだろう。
「ほんと・・に、ごめん、なさい・・・」
目の前の影は深々と頭を下げた。
蚊が泣くように静かで、花が倒れるようにゆっくりとした動作だった。
「・・・泣くな、イド。
泣く事だって、あんたにとっては相当な労力なんだろう」
「やさし、い子だね」
薄く微笑む。
そのままの表情で彼は続けた。
「でもね、サト。
ほんとうは誰のせ、でもないし、誰のせい、でもあったんだよ」

「自分の中の魔物は、誰にも飼い慣らすことは、できない・・・。
俺もお前、も自分の中の魔物・・を、飼い慣らさなきゃ、いけなかったんだ、よ」
「飼い慣らす?」
どこかで聞いたような話だ。
確か異国の絵本だったような・・・。
「そう、力で屈服させても、魔物はいつだって餌を求めて、牙をむく・・・」
彼は地面をじっと見つめていた。
つられて、視線を下げる。
雨に湿った土の匂いに、鼻の神経が麻痺するんじゃないかと思う。
息苦しいのだけど、大きく吸って吐いた後の爽快感はほんの一瞬しか味わうことができない。
てっきり大地に感謝を捧げているのかと思ったら、彼は俺の足首を凝視していた。
その視線の先には深緑の石が付いた足環。
「誰かのせいだと、自分や周りを魔物で傷つけるなんて、しちゃいけなかったんだ。
俺は、それを、知らなかった・・・・恥ずかしい事にね」
青白いを通り越して、真っ白な指先を上げる。
何時の間に外したのだろうか、足環が宙に浮いてその指先に引っかかっていた。
「ふぅ・・・」
心なしか彼の姿が安定したような気がする。
ため息だって、聞き取りやすい。
「これは返してもらうね。
今まで預かっていてくれて、ありがとう」
足環が彼の左足首に嵌る。
服装や状態を覗けば同じ外見だと言うのに、ようやく帰ってきたのよという顔で足環は彼の足首に納まっていた。

「サトライは、いっぱい憎んで、いっぱい否定して、いっぱい悲しんだね。
俺がそれを拒否しようとしてたから。
多分ね、態度としては俺は間違っていなかったんだよ・・・非を持たない友人を責めちゃいけない」
頬の下の血管が透けて見える。
肌まで青く染まった仔鳥。
彼は、今、自分の罪を認めようとしていた。
「だけどその心を押さえつけちゃいけなかったんだ。
マイナスの感情を理解して、認めなくちゃいけなかったんだ。
俺はずっと弱さの中にも強さがあると思っていた。
でも俺の想像していた強さは『我慢強い』だけだったんだよ。
それは、強さではない・・・」
真っ直ぐに自分を見つめる。
同じ顔、同じ羽、同じ瞳が鏡のように対になる。
きっと今だけは印象も同じなのだろう。
初めて俺達は同一の存在となったのだろう。
「弱さを認めただけでは強くなれない。
弱さだけでなく、自分の欲求を見極めなければいけない。
欲求ほど直視しがたいものはないけれどね」
違うのは、片方が片方へと伝えたい事があるのみ。
「だからこそ、それを直視し、理解し、認めた時に、人は強くなれるんだよ。」
顔を歪めながら笑った。
「俺はあの人ためにあの人を好きになったんじゃない、自分のためにあの人を好きになったんだ。
あの人を好きになった事は罪じゃない。
あの人と過ごした日々は罪じゃない。
あの人と身体を重ねた事は罪じゃない。
無垢ではなかった、でも無邪気ではあった。
あの時の俺の愛情は、俺が望む形の愛情ではなかった・・認めようとしなかったからだ。
だけどね、わかるかい?
その愛情は罪ではなかったんだよ」
興奮したようにかぶりを振る。
涙が大気に散った。
子供のような表情で、彼はひとつの真実を語った。
「その事を認めようとしなかったのが、罪だったんだ・・・」
彼はようやく仔鳥から、一羽の鳥になったのだ。

「・・・だから、その罪にサトライを巻き込んだ事を、俺は謝るよ」
長い沈黙を挟んで、はっきりとした声で彼は言った。
震える瞼で目を瞑って、口角を緩く上げていた。
長い、長い、数年という時間をかけて、彼はようやく自分の罪を見つけたのだ。
それは晴れやかな表情だった。
寂しそうではあったが、彼はようやく笑う事ができたのだと思う。
ようやく、本当に笑う事が出来たのだと思う。

「此処までは俺からのお願いだよ。
此処から先が伝えたかったこと」
けだるい空気に逆らうように瞼を開ける。
その様子に心臓が跳ねた。
彼の空色の瞳は、こんなにハッとするほど、美しいものだったのだろうか。
だが彼の唇は俺の心の揺れ動きなど待たない。
「信じない事は時によっては、とても難しいことだ。
だけど信じることはその何倍も難しいことなんだ」
疑心暗鬼に陥ることは簡単だ、と付け加える。
これこそ彼の言っていた自分の中の魔物のひとつなのだろう。
人は善なる心だけでは、出来ていない。
誰だって欲を持ち、その欲の形を変えて生きている。
欲は善なる翼を広げる時もあるだろうし、悪魔に身を変える事だって容易い。
大事なのは、そのコントロールだ。
そのために自分の欲を理解し、認めなくてはならない。
「そうだよ、サトライ」
目を細めて首を傾ける。
「お前は、お前が信じたいと思った人に出会うんだ。
お前が信じたいと思った人ならば、お前にとってかけがえの無い価値を持った人になるんだよ・・・」
彼の言葉は、耳を通り抜け瞳の奥を熱く蒸らした。
「かけがえの無い、価値」
小さく、だが確かに反芻し、胸の奥に刻み付ける。
半身であり、分身であり、敵であり、友人であり、兄弟であり、親だった。
その人からの最初で最後の贈り物。
ならば、俺はお前を信じよう。
まずはお前を信じて、お前の言葉を信じて、俺は生きていくんだ。
「あはは、泣いてる」
涙もろいのは、お前の身体のせいだよ、イド。

何も変わらないと思っていた夜が、一瞬で何もかもを変えてしまった。
そうだ、停滞した世界は、それがどんなに心地良いものだとしても、何時しか腐るものなのだ。
俺はその事実に気付き、同時に愕然とした。
この家の中だって、とっくに腐っていたじゃないか。
温かい温度は、時には腐食を前進させる事もある。
その事実は悲しい。

だけど俺は、腐りたくないとも思う。
月の温もりに身を寄せるのは、涙が出るくらいに幸せな事だが、俺は前に進みたい。
俺はイェリルル・ドレニアだった男じゃない。
俺はイド=サトライになりたい。
よく磨かれたナイフを首元にあて、一気に引く。
乾ききった髪は音も立てずその繋がりを絶った。

物事の道筋は人によって違うものだと思う。
とある人は神に祈ってから畑を耕すだろう。
とある人は左手を二回、はたいてから勝負に挑むのだろう。
俺は物事の始まりは北へ向かう事だと信じている。
俺がこの世に産まれて間もない時に、聞いた言葉だからかもしれない。
もしかしたら今の住み良かった家に辿り付く事が出来たからなのかもしれない。
視界を遮る雨の中、その方角だけが周囲よりはっきり見えたからかもしれない。
だけどそんなきっかけなど、何だって構わないのだ。
北へ行こう。
軽くなった髪の分だけ、一歩、多く進むことが出来る。




イド消滅RPより転載 2007年7月15日筆
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posted by 夏山千歳 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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